この土地のあたりの字(あざ)名が「鍛冶屋回り」と言って、野踏鞴※(のだたら)の跡があり、ケラ※が出てきています。これに拠り、このあたりでもともと野鍛冶を行なわれていたのではないか、と四代目の高橋勉さんは考えています。初代は鍛冶の修業に行き、この地に戻って鍛冶屋を始めたのは、それが理由のようです。鍛冶仕事は体力的にも相当厳しく、初代は身体を壊してあまり仕事を長くはできませんでした。勉さんの祖父がその後を継ぎ、2017年に高橋鍛冶屋は106年目を迎えました。 ※踏鞴……古代から近世にかけて行われた製鉄法 ※ケラ……踏鞴の底にできた鉄の塊のこと。