仏乗慈僊(1798~1870)は江戸後期の曹洞禅僧。越前国出身。各地を歴遊ののち、長門長徳寺の住持となる。相模最乗寺なども歴任。嘉永5(1852)年の道元六百回大遠忌では永平寺後堂(修行僧の指導役)をつとめ、法要の興隆に尽力した。
戯画的な独特な画風を用い、道釈画(道教・仏教の絵画)などを得意とした。
画題となっている寒山と拾得は唐代の伝説的な隠者で、天台山国清寺(浙江省)に隠棲した。二人は物乞い同然の風体であったがその言行は仏意に通じ、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の化身とされた。天台山で飯炊きの仕事をしていた拾得のところに忽然と現れたのが寒山だという。寒山と拾得の風狂な逸話を画題とした「寒山拾得図」は禅院で大いに好まれ、作例も多い。本図のように寒山は経巻(または筆)を持ち、拾得はほうきを持った(または天を指さした)姿で描かれることが多い。
豊干禅師は二人の師に当たり、この三人を描いた三福対の図。天台山国清寺に隠棲したことから世に「国清三隠」と称される。拾得は豊干禅師に拾われたことからこの名があるという。なお、豊干禅師は外出の際に虎に乗って出かけたと伝えられ、この三名が虎とともに眠っている図を「四睡図」という。
賛は五言絶句。拾得のみ左側から読む。