沖縄の歴史や文化を代表する9つの世界遺産

2000年にユネスコの世界文化遺産に登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」。アジアや日本の影響を受けながらも島国として独自に発展した王国の文化、信仰に触れ、城跡やその建物様式からは琉球王国の歴史的背景や琉球の人々の英知を感じることができます。

首里城跡(しゅりじょうあと)出典: Shurijo Castle Park

首里城跡ーグスクの頂点に立った 琉球王国の拠点

1429年、三山が対立する時代を制して琉球王国の拠点となった首里城は、現在の規模よりは小さく、内郭と呼ばれる範囲に限られていました。16 世紀前期に外郭の部分を増築し、東西約400メートル、南北約200メートル、面積約4 ヘクタールの規模にまで拡大しています。その推移が分かるのは城門の形式です。瑞泉門や淑順門、美福門などの内郭の門は、城郭をつなぐように櫓と呼ばれる木造の建物が設置されています。歓会門や久慶門、継世門などの外郭の門は、アーチ状に積まれた城門の上に櫓を載せる形式となっていて、この違いは時代差を物語っているのです。

タップして利用

現在の状況

園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)出典: Shurijo Castle Park

園比屋武御嶽石門ー国王の道中を安全祈願した聖地

守礼門をくぐり、首里城に向かって進むと左手側。琉球石灰岩で造られた立派な門が園比屋武御嶽石門です。中央に掲げられている扁額から第二尚氏王統の尚真王の時代、1519 年に築造されたことが分かります。石門の後ろに広がる森が園比屋武御嶽と呼ばれる聖地でした。

タップして利用

現在の状況

玉陵(たまうどぅん)出典: Naha City

玉陵ー琉球王家の墓は、あの世の首里城である

1501 年、琉球王国の全盛期を築いた尚真王が造営した王家の墓が玉陵です。サンゴ砂利を敷き詰めた2 つの庭を抜けると、その奥に石造の墓が横たわっています。墓は3 つの部屋からなり、正面の部屋(中室)は葬式が終わった後に亡骸を納めた場所です。年数が経過した後で骨を洗い清め、王と王妃は左の部屋(東室)に安置されました。それ以外の王族は、洗骨をすませて右手の部屋西室)に葬られました。個人のための墓ではなく、琉球王家(第二尚氏王統)の人々が用いた集団墓でした。庭の一隅に、平仮名で刻まれた有名な碑文が建っています。

識名園(しきなえん)出典: Naha City

識名園ー中国・日本に学びつつ、琉球らしさを発揮した庭園

琉球の国王や王族が使用するために作られた2つの別邸がありました。首里城の東に御茶屋御殿(別名・東苑)、南に識名園(別名・南苑)です。2 つとも沖縄戦で破壊されましたが、識名園は復元され、往時の姿を取り戻しています。識名園は1799 年に創建され、中国や日本の庭園様式に学びつつ、琉球独自の庭園として表現されています。中国皇帝の使節団(冊封使)をここに迎えて宴が催されるなど、賓客の接待にも用いられていました。

斎場御嶽(せーふぁうたき)出典: World Cultural Heritage Sefa-utaki

斎場御嶽ー琉球王国の国家的な祭祀が行われた聖地

斎場御嶽は岩山と森に囲まれた琉球王国最高の聖地であり、複数の聖域(イビ)からなっています。琉球王国時代において、祭祀をつかさどる神女組織の最高位に聞得大君(きこえおおぎみ)がいました。聞得大君は斎場御嶽で行われる「御新下り(おあらおり)」と呼ばれる儀式を経て、新たに就任します。首里を出てこの地を訪れた神女たち一行は、御嶽内のイビで祈りを捧げます。そして最終的には新たな聞得大君に神からセジ(霊力)が与えられ、神女の最高位としての資格を得るのです。

中城城跡(なかぐすくじょうあと)出典: Nakagusukujo Site World Heritage of Okinawa

中城城跡ーペリー艦隊も驚愕した築城技術の高さ

もともとあった古いグスク(城)を、15 世紀の英雄、護佐丸(ごさまる)が増築して築城しました。廓の構成や城門の形式、そして石積みの技法などの各面でグスクを代表する名城だと評価されています。娘を首里城の王に嫁がせるなど護佐丸は王家と親しい関係にありましたが、謀反の疑いをかけられたために自決したと伝えられています。彼の子孫は毛氏(もううじ)と呼ばれ、後に首里城の王に仕える名門となりました。また、18 世紀初期に創作された琉球の演劇「組踊(くみおどり)」の題材ともなり、忠臣=護佐丸のイメージが広がりました。

勝連城跡(かつれんじょうあと)出典: World Heritage Katsuren-Jô Site

勝連城跡ー琉球の天下人を夢見た阿麻和利(あまわり)の夢

15世紀初期には沖縄本島中部の有力なグスクとして繁栄していました。発掘調査の結果、中国や日本などの遺物が数多く見つかっており、瓦葺の建物があったことも確認されていることから、貿易を活発に行っていたことが伺えます「肝高(きむたか)」の別称があり、優れた霊力が満ちる場所、という意味があります。このグスクに君臨した有名な人物が阿麻和利で、首里城を制圧して琉球の覇権を手に入れようと動きました。しかし、1458 年に首里王府軍に攻められ、落城したと伝えられています。阿麻和利の落城以降は荒れ果てていましたが、城壁が復元され往時の姿を取り戻しています。

座喜味城跡(ざきみじょうあと)出典: Yuntanza Museum

座喜味城跡ー護佐丸が築いた琉球最古のアーチ門を持つグスク

15 世紀の英雄、護佐丸が築いたグスク(城)として知られています。伝承によると、護佐丸はそれ以前の居城であった山田グスクからこの地に移転しましたが、その際に山田グスクの城壁を解体し、その石を運ばせて城を築いたといいます。発掘調査の結果、地中を掘り下げて基礎石を置き、その上に城壁を積み上げる工法がとられていたことが分かりました。護佐丸がこの城を利用したのは短期間であり、その後に拠点を中城グスクに移転しています。城跡から望む東シナ海は雄大で美しい風景が広がります。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)出典: Nakijinjoseki

今帰仁城跡ー北山王たちの夢の居城

今帰仁グスクは沖縄本島の北部を支配した北山の拠点でした。北山王は中国(明朝)と交流していたばかりでなく、東南アジアルートともつながっていたことが発掘調査により明らかになっています。明朝の記録には3 名の王の名が登場し、栄華を極めていました。しかし、攀安知(はんあんち)が北山王だった1416 年、中山の軍勢の攻撃を受け、落城しました。攀安知は城の守り神である御嶽(うたき)の霊石を刀で切り、自害したという伝説が残っています。中山はこの城に北山監守を常駐させ、北部統治を強化しました。

勝連城跡(かつれんじょうあと)出典: World Heritage Katsuren-Jô Site

琉球の英雄とグスクの魅力を辿る

世界遺産に登録された今帰仁・座喜味・勝連・中城の各グスクを北から南に巡りたい。各グスクは、丘上の地形を生かしながら、巧みに城壁をめぐらしています。 城壁の積み方も巧みであり、沖縄の石造技術がすでに15世紀には高いレベルにあったことを教えています。このようなグスクを築造するためには、技術者集団が必要であり、また大勢の人員を動員できるだけの権力が必要でした。グスクの地中からは、中国や日本、東南アジアで生産された遺物が出土していて、海外につながる交流ルートを築いていたことも分かってます。その栄華をやがて首里城が一手に引き取ったのです。

琉球の英雄とグスクの魅力を辿る出典: https://youtu.be/29b9L04PcFk

琉球の英雄とグスクの魅力を辿る

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
座喜味城跡(ざきみじょうあと)
勝連城跡(かつれんじょうあと)
中城城跡(なかぐすくじょうあと)

識名園(しきなえん)出典: Naha City

琉球王国の輝きを辿る

グスクの頂点に立ち、琉球王国の拠点となった首里城(首里グスク)は琉球石灰岩の台地に立地します。高台にあるため生活用水の確保が困難だったのではないかと思うかもしれませんが、城内そして城外にも天然の湧き水が豊富に存在しています。城下町の首里では、現在でもこの水を利用して銘酒泡盛が製造されています。城の周囲には日本から導入した仏教(臨済宗)の寺院や、人工池である龍潭が設けられていました。王家の墓、玉陵は首里城にアクセスするメインストリート「綾門大道(あやじょううふみち)」沿いにありました。郊外には王や王家の人びとが憩うための別邸、識名園や御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)もありました。

琉球王国の輝きを辿る出典: https://youtu.be/e0rjyOnxPrQ

琉球王国の輝きを辿る

琉球王国の拠点の動画
首里城跡(しゅりじょうあと)
玉陵(たまうどぅん)
識名園(しきなえん)

斎場御嶽(せーふぁうたき)出典: World Cultural Heritage Sefa-utaki

琉球王国の祈りの世界を辿る

首里城は祈りの場所でもあり、城内に多くの御嶽がありました。城外には園比屋武御嶽石門(そのひやんうたきいしもん)があり、その後方の森(現在は小学校)に降臨する神々に向かい、祈りを捧げる場所でした。首里の東方には、斎場御嶽があります。琉球の開びゃく神話にまつわる御嶽琉球の開びゃく神話にまつわる御嶽であり、また王国の神女組織の最高位である聞得大君の就任儀礼「御新下り(おあらおり)」が行われました。現在でも、県内外から多くの人が祈りに訪れています。

琉球王国の祈りの世界を辿る出典: https://youtu.be/r6etMJyf6mc

琉球王国の祈りの世界を辿る

琉球王国時代からの祈りの場
首里城跡(しゅりじょうあと)
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
斎場御嶽(せいふぁうたき)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
もっと見る
関連するテーマ
首里城復興
2019年の火災後、観光客の写真から再構築された世界遺産。
テーマを見る
ホーム
発見
プレイ
現在地周辺
お気に入り