正殿は言うまでもなく首里城で最も中心的な建物です。
1992年に復元した建物は18世紀初めに再建され、沖縄戦で焼失するまで残っていた正殿をモデルに建てられたものでした。
琉球独自の意匠
首里城における琉球建築の特徴は、日本と中国の建築様式の影響を受けながらも、それにアレンジを加え琉球独特の意匠を形づくっている点にあります。中国・韓国の宮殿と比べ、首里城正殿は三階建であること、正面石階段が末広がりになっていること、大龍柱・小龍柱が柱に見立てて彫刻されていることなどが琉球王国の宮殿である正殿独特の意匠です。
日本の社寺建築との類似点
首里城の本殿である正殿は、天守閣ではなく、中国の宮殿建築の特徴を受けながら、日本の社寺建築の特徴も強く受けています。 正殿中央の唐破風(からはふ)は、日本の社寺建築の特徴で、アジアの宮殿で唐破風を持つ宮殿は首里城正殿のみです。日本の城郭、中国の宮殿とも違う首里城正殿の特徴と言えます。
中国の宮殿建築との類似点
首里城正殿で、中国的な特徴は、正殿前の御庭を四方を建物で囲み、床には磚(せん)を敷き詰め、正殿と御庭が一体となって諸儀式を行っていたことから、紫禁城の大和殿の影響を受けていたと考えられます。また、基壇という石垣の基礎の上に石高欄という石の手すりがあるところも中国の宮殿建築の影響を受けているところです。
正殿一階「下庫理(しちゃぐい)」
正殿一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら儀式を執り行う場でした。 中央の華麗な部分が「御差床(うさすか)」と呼ばれ、儀式の際に国王が出御(しゅつぎょ)する玉座です。御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)があり、国王は、その階段を使って二階から御差床に出御しました。
正殿二階「大庫理(うふぐい)」
正殿二階は、「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、中央には一段高い須弥壇を設け玉座としていました。玉座の上部には「中山世土(ちゅうざんせいど)」、「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」、「永祚瀛壖(えいそえいぜん) 」と書かれた中国皇帝から送られた御書(ぎょしょ)を琉球で漆塗りで扁額に仕立てたものが幾つも掲げられていました。
おせんみこちゃ
南東隅の部屋は「おせんみこちゃ」と呼ばれ、国王自ら女官とともに毎朝東方に向かって拝んでいました。「御床(おとこ)」には神棚として神霊が祀(まつ)られ、女官は抹香(まっこう)を焚いて「火の神(ひぬかん)」等を拝礼しました。身分の高い神女(しんじょ)の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われました。
首里城の龍
龍は空想上の巨大な獣で中国皇帝の象徴とされました。そのため、中国皇帝に進貢する琉球の国王もそれに倣い、龍の紋様を多用したと考えられています。首里城の龍のほとんどは口の開いている阿形(あぎょう)と口の閉まっている吽形(うんぎょう)で一対になっています。
大龍柱(だいりゅうちゅう)
正殿中央石階段の左右に向かい合って立つ大龍柱は1508年に初めて製作されました。その後、正殿の焼失・再建に伴い何度か作り替えられました。現在の大龍柱は1712年以降に制作され、1758年の正殿修理の記録や、戦災をくぐり抜けて現存する大龍柱の残欠の形態・規模をモデルとしています。
被災した大龍柱
大龍柱は、火災の影響を受けながらも無事現存していました。多くの損傷が確認されるため、今後保存修復が予定されています。