清明祭
今も昔も琉球料理には欠かせない豚の飼育や豆腐の製法のほか、清明祭やそこに供されるウサンミ(豚や鳥、魚のお供え物)は久米村から王府に伝わり、それが一般家庭にも伝わったといわれています。今も清明の時期になると県内のスーパー等には多くのウサンミが売られています。
うとぅいむち(おもてなし)の場である首里城
【守礼の心が育んだ宮廷料理と琉球芸能】琉球王国の時代、琉球国王の冊封(新国王を任命するための儀礼)のため使節団である冊封使が琉球を訪れていました。 使節団は総勢400人あまり、約半年の間、沖縄に滞在したと言われています。荘厳な冊封儀式のほか、冊封使滞在中には、首里城北殿や、天使館など各地で「七宴」と呼ばれる国王の主催する七つの大宴が開かれ、そこでは、三十数品にも及ぶ中国風の料理が振る舞われていました。
宮廷料理
国賓の歓待には欠かせない食については、料理人を中国に派遣し学ばせるほど力を入れており、琉球版「満漢全席」とでも呼ぶべきこの料理は、国王の王冠を携えた冊封使の乗る船の名を由来として、「御冠船料理」と呼ばれました。 こうして、琉球王国時代に中国の冊封使をもてなすための料理が生まれ、調理技術や作法等を洗練させて「宮廷料理」として確立されました。
組踊
また、「七宴」では、色彩豊かで華やかな紅型衣装を身にまとった琉球舞踊が演じられたほか、のちにユネスコ無形文化遺産にも登録される組踊が誕生し、演じられました。
泡盛
【御用酒として現代に引き継がれる「泡盛」】15世紀頃、琉球王国は東南アジア、特にシャム(現在のタイ王国)との交易が盛んでした。その頃、蒸留酒とその製造技術を琉球に持ち帰ったとされており、15世紀後半には泡盛が造り始められました。
琉球料理
【世替わりを経て、今もなお連綿と続く「食文化」と「芸能」】明治政府が行った廃藩置県により、約450 年の歴史を持つ琉球王国は幕を閉じました。琉球王国が沖縄県になってからは、琉球王国に従事していた料理人たちは、その職を失いましたが、その技術は、御冠船料理や薩摩支配の影響を受けた日本式の料理を源流とした琉球料理を首里地域から那覇地域の社交場へと広げました。 琉球王国時代から食されている「中身のお汁」や「豆腐よう」など数多くの品々は今も沖縄県民に愛されているほか、県民の代表食である「ゴーヤーチャンプルー」やサギグスイ(悪いものを体の中から下げる薬)と言われている「イカスミ汁」などは、医食同源の理念にかなっており、今でも「ヌチグスイ=命の薬」、「クスイムン=薬になるもの」として生活に根付いており食堂などの定番メニューになっています。
琉球菓子
また、今では沖縄土産の定番となっている「ちんすこう」や御冠船料理でも供されていた「橘餅」などの琉球菓子が琉球王国時代から代々継承されています。 首里の限られた地域でしか製造が認められていなかった琉球泡盛については、現在では離島を含む県内各地域の酒造所で製造されるとともに、酒蔵見学や試飲体験が行われています。
「芸能の島」沖縄県
一方、沖縄県は「芸能の島」と称されるほど歌や踊りが盛んな地域で、披露宴などの催しの際には必ず芸能が披露されるなど、県民にとっては身近なものであり日常的に親しまれています。国立劇場おきなわ(浦添市)では、琉球舞踊や組踊の定期公演も行われており、気軽に沖縄の芸能に触れることができます。 那覇市内には今も、かつての冊封使節団の歓待と同様に、琉球舞踊などの芸能を鑑賞しながら琉球料理や泡盛を楽しめる老舗の料亭などもあり、沖縄の食と芸能を堪能することができます。 このように琉球王国時代に育まれた国際色豊かな食と芸能文化は脈々と受け継がれ、今も県民や国内外からの観光客を魅了しています。
琉球漆器
【「日本遺産」とは】 「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて 我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。 沖縄県と那覇市、浦添市が共同で申請したストーリー『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』が2019年日本遺産に認定されました。
沖縄県
琉球文化日本遺産推進協議会
沖縄県立博物館・美術館
一般財団法人 沖縄美ら島財団
浦添市美術館
沖縄観光コンベンションビューロー
国立劇場おきなわ
安次富順子