作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所
京都女子大学 生活デザイン研究所
神々と暮らしたアイヌの人々
豊かな森、川、海の恵みの中で暮らしてきたアイヌの人々は、動植物たちをカムイ(神)ととらえ、カムイたちとともに生きていました。道具の材料となる木を大切に、細かく切り離さずに彫りこみ、木形や年輪模様をいかして成形。そして道具の柄や口などには、邪気を祓う抽象的な文様が彫刻されました。やすりをかけたり、塗りを施したりすることなく、彫りの手触りを大切に使われたイタ(盆)。煙に燻され、使い込まれた昔の道具には、独特の色つやがあります。
二風谷イタ《イタ》 平取町二風谷アイヌ文化博物館蔵(撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
やすりをかけたり、塗りを施したりすることなく、彫りの手触りを大切に使われたイタ(盆)。
二風谷イタ《イタ》 平取町二風谷アイヌ文化博物館蔵(撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
煙に燻され、使い込まれた昔の道具には、独特の色つやがあります。
伝統を今につなぐ、二風谷イタ
沙流川(さるがわ)が流れる北海道沙流郡平取町の二風谷(にぶたに)。旧石器時代から人々が暮らした痕跡が残り、北海道内でも比較的温暖な地域です。森林資源に恵まれ、他地域との交流も活発でした。文様で飾られた暮らしの道具は、江戸時代から土産物としても尊ばれました。明治・大正・昭和期と制作されつづけ、多くの名工を輩出してきたのがこの地域。明治期にはすでに博覧会などに出品する手の込んだ大作も手掛けられました。脈々と受け継がれた木彫の伝統に、新たな光を当てるのが「二風谷イタ」です。アイヌ語の「イタ」は盆を意味し、器をのせて運ぶ道具ですが、食べ物を盛って出す皿としても使われました。
二風谷イタ《木彫図》(部分) 平取町二風谷アイヌ文化博物館蔵(沢田雪溪)京都女子大学 生活デザイン研究所
マキリと呼ぶ小刀でイタ(盆)を削る男性と、その男性を囲む母子3人を、沢田雪溪が明治期に描いたものです。
材料となる木は二風谷地域や北海道産のくるみ・かつら・えんじゅなど。乾燥させた板にくぼみを彫り、盆の表面にさまざまな文様を彫ります。この彫文にアイヌの伝統的なモチーフを使っていたのが二風谷の特徴でした。
二風谷イタ《マキリ》 平取町二風谷アイヌ文化博物館蔵(撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
マキリ
昔、イタはマキリ1本で彫り上げたともいわれます。美しい模様で覆われたマキリが象徴するように、道具をつくる道具にも文様を彫り、大切に使ったアイヌの人々。
マキリはかつて、男女ともに常に携帯していた重要な道具です。アイヌの男性が女性に求婚する時には、自らの技と感性を注ぎ込んで自作したマキリが贈られました。
文様の美
魔がつかないように具象的な表現を避け、抽象的な文様を用いるアイヌの木彫。伝統的に用いられた文様は、水の流れのようにやわらかくうねる曲線文様(モレウノカ)、植物のとげのような文様(アイウシノカ)、中央のひし形の目(シクノカ)です。文様の組み合わせを変えれば、無限の表現が1枚の中で展開されます。
二風谷イタ 《イタ》(部分)(貝澤徹、撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
ウロコ文様
二風谷イタは、大き目の文様の隙間に刻まれる、細やかなウロコ文様(ラムラムノカ)が特徴的です。ウロコの向きには一定の法則があり、綺麗な文様にするためには数ミリ間隔で線を彫る、高度な技が必要です。
二風谷イタをつくる:彫るまでの準備
くるみ、かつら、えんじゅ、かつらなどのやわらかい原木を手に入れます。年輪と平行に切られた板目板(いためいた)をとり、2, 3年程常温で乾燥。芯側は木裏、樹皮側は木表と呼ばれ、板は元の木の形とは逆向きに反ろうとします。イタ(盆)では、木裏側を彫りのある表面として使用します。板の表面を平らにし、大きさに合わせてカット。表面にカンナをかけ、ルータなどで盆の形を荒削りします。
二風谷イタ 《技法 イタ底》(貝澤徹、撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
イタ底
外枠を残して内を荒彫りされた表面の底を、平ノミ(レウケマキリ・皮裁ち包丁)などで平らに整えます。イタの厚さに合わせた丸ノミ(レウケマキリ)で際側を彫り、仕上げを行います。最後に平ノミで板の角を削り、手に持った時に角が当たらないようにします。
文様を彫る
板の大きさに合わせて文様の配置を考え、必要に応じて鉛筆や墨などで下絵をします。三角刀(印刀)で主となるモレウノカなどの文様を線彫りし、丸ノミで線彫りした間を彫ってくぼみをつけます。さらにくぼみをつけた内側を三角刀で線彫りし、二重線を入れます。
二風谷イタ 《技法 ウロコ彫り》(貝澤徹 、撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
ウロコ彫り
印刀を使って、ウロコ彫りのための切り込みを升目状に入れていきます。細かい菱形の升目をつけるため、下方から上方へ斜めの平行線を数ミリ単位で引き、さらに板を90度回して線を引きます。その升目の中を印刀の裏刃で斜めに削り、ウロコ模様を彫っていきます。
仕上げ
持ったときの感触をやわらかく、また軽くするために、イタ(盆)の裏側を浅い丸ノミで削って仕上げることもあります。
二風谷イタ 《技法 道具》 (2017年)(貝澤徹、撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
アイヌの人々は道具に自ら文様を彫り、大切に使ってきました。現代のつくり手が使うノミの柄にも、文様が施されています。
二風谷イタ 《技法 道具》 (2017年)(貝澤徹、撮影:梶原敏英)京都女子大学 生活デザイン研究所
表面の内側の角部分を削るためのもの。イタの厚さに対応するため、さまざまな大きさと曲線のノミがあります。
イタ(丸盆)
明治・大正期の名工・貝澤ウトレントク(1862-1914)がつくったイタの再現。ひ孫の貝澤徹(かいざわとおる)さんによるもので、現在の名工のひとりです。かつらの木に刻まれた文様はやわらかく、細やかなウロコ文様にもひとつひとつにまるみがあり、本当のウロコのようになめらかな流れを見せます。
イタ
くるみの木を彫りこみ、広げられた布のようにみせた二風谷イタ。貝澤徹さんは、模倣だけでは伝統が途絶えてしまうと考え、昆虫や熊などの動植物の立体彫刻や、木彫で布を写実的に表現した「樹布」など、多彩な木彫表現を試みています。
子持ちイタ
小分けされた面に、食物を分けてのせることのできるかつら材の「子持ちイタ」。二風谷イタの一種で、くぼみは板の厚さに合わせた曲丸ノミで彫られました。
ニマ
カラフトアイヌ語でチェペニパポ、アイヌではニマ(器)と呼ばれる伝統的な器です。イタ(盆)と同じく、木をくり抜いてつくられ、汁などの食物を入れて使われました。持ち手には伝統的な曲線文様。端の玉は、木が乾燥する前にはめ込まれ、乾燥すると自然に固定されました。
平取町二風谷アイヌ文化博物館
重要有形民俗文化財「北海道二風谷及び周辺地域のアイヌ生活用具コレクション」をはじめとしたアイヌの民具、重要文化的景観にも選定されたチセ群のほか、数多くの視聴覚資料、関係図書等が納められています。
資料提供&協力: 平取町立二風谷アイヌ文化博物館、貝澤徹
監修: 吉原秀喜(平取町アイヌ文化保全対策室長)
テキスト: 貝瀬千里
編集: 坂井基樹(坂井編集企画事務所)
英語サイト翻訳:鴨志田恵
英語サイト監修:鴨志田恵
プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授)