鶴岡市内から車で40分程度走ると、出羽三山の玄関口とも言える結界の大鳥居が見えてきます。そして、迫力のある真っ赤な鳥居をくぐって少し進むと、道の両脇に、小さな鳥居を入り口に構えた家が点々と姿を表します。これは単なる住居ではなく、「宿坊(しゅくぼう)」とよばれる参詣者のための宿。出羽三山の山岳信仰は、山形や東北に限らず全国各地に信者がいるため、遠方からでもゆっくりと参詣ができるようにと、山の麓には県ごとに担当が割り振られた宿坊が多く立ち並んでいるのです。
月山8合目から雲海の下の鶴岡ユネスコ食文化創造都市 鶴岡
羽黒山信仰の町「手向」の宿坊ユネスコ食文化創造都市 鶴岡
羽黒山信仰の町「手向」の宿坊ユネスコ食文化創造都市 鶴岡
宿坊では、代々口伝で伝わっている季節の「精進料理」が出されています。一般的に「精進料理」というと、肉魚を使わない菜食料理や、肉魚の料理を模したもどき料理としても知られていますが、出羽三山での精進料理は、それらとは少しちがい、一皿一皿に参詣者への〝おもてなしの心〟が込められています。
生きる精進料理からもてなしの精進料理へ
出羽三山の精進料理は、山の幸が中心。春は山菜が多く採れる時期なので、自然と器を彩るのは緑色のものが多くなり、秋になるにつれて、きのこの割合が増えて茶色くなっていきます。どの時期にどんな食材を使うのか、どんな料理を出すのかは、暦の上ではっきりと決まっているわけではありません。「それは、すべてお山が教えてくれる」と話すのは、「羽黒山 参籠所 斎館」の料理長、伊藤新吉さんです。
「もともと精進料理は、山伏が生きるために食べていた粗食でしたから、食べることができるかどうかが基準で、食味はそこまで気にしていなかったと思います。しかし、保存技術や調理技術が進んで、次第にお山に参詣にいらっしゃる方をもてなす料理へと変化していったんですね。 精進料理では、基本的に肉魚をはじめとする精のつくものは使えません。それは、パワーはお山からいただけるのだから、必要以上の力を食べ物からいただく必要はない、という考えがあってのことではないかと思います。また、月山や湯殿山を登る前日に食べるものでしたから、消化のいいものや風邪をひかないものを出す、という習慣も昔からあったようです。今、みなさんにお出ししている精進料理は、先人がそういう想いで考案された料理の数々を口伝で受け継いだものです。その時にお山で採れたものを中心に使いますので、器の中身は毎回少しずつちがうと思います。それも楽しんでいただけたらと思いますね」
小さな器には、タケノコやウルイ、フキノトウ、タラノメ、アサツキ、イタドリなどの山菜を使った料理が美しく盛られ、一つの御膳の上で完結するコース料理のよう。山菜や野菜、お豆腐のみで構成されている料理なのに、味わいや食感のバリエーションが幅広いので、ひとつ一つの料理に発見やよろこびがあり、食べ終えた時には御膳の中でいろいろな体験をすることができた充実感と幸福感に満たされます。
一皿一皿に込められた山伏の参詣案内
出羽三山の精進料理には、素材の他にもう一つ大きな特徴があります。それは、御膳が参詣の道案内になっているということ。ひとつ一つのお料理には、山伏の隠語が付いていて、修行の名所や拝所が表現されているのです。例えば、三本の月山筍(たけのこ)が特徴的な料理は、「月山の掛小屋」という隠語が付いています。そこに込められた意味を、伊藤料理長が教えてくれました。
月山筍の油揚げ煮ユネスコ食文化創造都市 鶴岡
「細い三本の筍は、出羽三山の三つのお山を表しています。そして、明日はこの真ん中の月山に登りますよ、とご説明をするんです。そして、たけのこの上から二番目の節を八合目に見立てて、この辺りで一度休憩をしますよ、とご案内させていただくんです。その他にも、胡麻豆腐には、開祖の蜂子皇子が着かれた由良海岸の島を指す『出羽の白山島』という隠語が付いているんです。今でもご要望をいただけば、ご説明をさせていただいていますよ」
この御膳は、お皿で名所や拝所を巡り、参詣の予習をする、いわば案内ツールの役割を持っています。しかし、同時に、宿坊ですごすひとときの中で、参詣者の心をほぐし、山のことを伝えるためのコミュニケーションツールでもあったのかもしれません。
「羽黒山 参籠所 斎館」では、海外からの参詣者も増えた昨今は、より多くの方たちに食べていただきたいという想いから、ビーガンの方でも食べることができるように、お出汁の取り方や素材を見直した完全精進の「月うさぎ膳」をはじめました。この精進料理は、今までにはなかった御膳でありながら、調理や味付けは原点に還っている、と伊藤料理長。薄味かと思いきや、野菜や山菜からしっかりと出汁が出て、そのおいしさにも驚いてしまいます。
うるいのお浸しユネスコ食文化創造都市 鶴岡
「『月うさぎ膳』は、2011年にパリとハンガリーに行った時に現地の食材で出羽三山の精進料理を作ったことがきっかけとなって、作りはじめた新しい精進料理の一つです。ミラノ万博でもこのベースになるようなメニューを出させていただいたのですが、通常の精進料理とは味付けがまったく違います。お出汁も山菜の戻し汁や野菜、しいたけを使っていて、味付けもすべてお山のもの。ですから、この御膳は、新しさもありながら、実は原点に戻っているんです。私が精進料理を作る上で大切にしているのは、松尾芭蕉の『不易流行(ふえきりゅうこう)』という考え方。昔ながらものは変えてはいけないということを理解した上で、新しいものを迎える。『月うさぎ膳』は、まさにそういう思考で作ったものなんです」
三神合祭殿の鳥居ユネスコ食文化創造都市 鶴岡
世界の平和を祈る出羽三山だからこそ、そのもてなしの対象がグローバルになってゆくのは自然なことなのでしょう。しかし、あくまでもその礎は、古くから伝わるもの。守るべき伝統は厳粛に守りつつ、その門戸が寛容に開かれる様は、長い歴史の中で神仏習合*1 や八宗兼学*2 など、さまざまな宗教を受け入れてきた出羽三山らしさ、ということなのかもしれません。
*1 日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。
*2 日本の仏教の8つの宗派の教義を併せて学ぶこと。出羽三山は、八宗兼学の山でもありました。
協力:
出羽三山神社 羽黒山参籠所 斎館
写真: 中垣 美沙
執筆: 内海 織加
制作: Skyrocket 株式会社