作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所
京都女子大学 生活デザイン研究所
出雲の藍染の始まり
もともと型染は正倉院御物にも見られ、奈良時代に大陸から日本に伝わった技術です。布に藍染で絵柄を描く手法は、江戸時代初期に始まりましたが、それ以前は絞りなどの藍染が主流でした。筒描という染色法がいつ始まったのか良く分かっていませんが、江戸時代に入り世の中が安定すると、家紋を入れた実用的なものから、庶民も使えるようなものにまで藍染が広がって行った頃だと考えられています。昔から出雲地方では嫁入り支度として、布団、夜具、風呂敷などが誂えられています。藍染の布は、洗うと柔らかくなり、肌に優しいという特徴や生地が丈夫になること、虫が嫌う匂いを出すことから物持ちが良く昔から重宝されています。藍染が飛躍的に広まった大きな理由かと思われます。
長田染工場の歴史
初代の長田音五郎は明治20年頃、徳島から出雲に藍を売りに来ていました。徳島は今も昔も有名な藍の産地で、当時はこの辺りには50〜60軒の紺屋(こうや)がありました。出雲の町の中でも大きなお店は従業員の数も多く、大阪からも商人が買付に来ていました。初代は晩年になると自分でも藍を染めるようになり、長田茂伸さんが四代目です。長田さんの工房は、当時、甕を48も持つお店でした。多くのお店は家族で営んでいましたが、明治以降は藍染が化学染料に押され、何十軒もあった紺屋も、出雲では長田染工場1軒だけになりました。今では全国でも筒描藍染を行っているところは、2〜3軒しかないそうです。
筒描藍染の特徴
古裂(こぎれ)の中で蒐集家の人たちが集めているのは筒描が多く、ほとんどが布団の表です。布団の表はあまり洗わないので、比較的保存状態が良いようです。実際に使われていたものは痛んでしまうので、棄てられることが多く、古い布はなかなか残りません。特に昔の織物は、糸が手紡ぎの上に、手織りのため織が緩いので、染めるときに織の糸と糸の間に染料を入れて、強度を出していました。また昔の人は織り上がった生地をさらに強くするため、糸で風呂敷の角々に刺子(さしこ)※を施しています。風呂敷きは昔、ものを持ち運ぶ道具として重宝されていました。しかし風呂敷に包んで担ぐと、どうしても縛るところが弱って破れやすくなります。そこで刺子をすることによりほつれを防ぎ、補強していました。 ※刺子……綿布を重ね合わせて、細かく刺し縫い合わせたもの。
筒描とは何か?
もち米を粉にして団子状にしたものを、熱湯の中で湯がき、こね鉢で潰して作った糊を「防染糊」と呼びます。日本で「防染糊」が使われた歴史は古く、奈良時代に遡るといわれています。「防染糊」の作り方はその場所によって違いが見られますが、長田染工場ではもち米のみで糊を作り、1〜2週間は使うことができます。摺り鉢に八分目くらいのところまで一回ずつ作り、使い切ります。この糊は非常に粘りが強く、使う時は水を入れて柔らかくし、青の色粉を混ぜながら筒袋に入れます。その筒袋は柿渋を塗った和紙を円錐形にして、先端に穴の開いた真鍮の金具を付けて使います。この糊を使った防染の染色技術は、ほぼ日本でしか見られないものと言えます。
糊付け
糊付けが甘いと、いくら上手に染めても絵柄の白く抜きたい部分に染みが入ってしまいます。そのため絵に糊を付けた段階で、出来がほとんど決まると言っても過言ではありません。青色と白色の境目の際(きわ)で、最初の糊の際が藍の侵入を許すかどうか、そこが重要なポイントになります。糊が厚すぎると垂れてきてしまい、薄すぎると藍が侵入してしまうので、なるべく均一にちょうど良い厚さで描かなくてはいけません。また際を描いた後は、穴の大きさの違う真鍮の金具を使い、白く抜く部分を糊で塗り潰します。その時、最初に描いた線の気泡や斑(むら)なども潰します。
糠をふる
ある程度まで糊で文様を描いたら、乾く前に描いた部分に糠を振って固めます。余分な糠は刷毛で払います。この作業を繰り返して表面が出来上がると、裏面から刷毛で水を引きます。それによって表面の糊の粘り気が生地の中に浸透していくのです。その作業が遅れ、表面の糊が乾いた状態になると、裏面から水を引いても糊が生地に入ってきません。表から見れば表面上は糊が着いているように見えますが、結局藍の侵入を許すことになります。もちろん敷物のような片面だけを使うものもありますが、暖簾・風呂敷・手ぬぐいといった両面を染めるものは、しっかり白地が抜けるように、丁寧で迅速な作業が必要になります。
筒描して出来上がった暖簾です。これが半分の大きさで縦が約2m。二枚合わせると家紋入りの暖簾になります。生地は「生成り天竺」という昔ながらの織り方で、晒(さら)していない、少し黄味がかった綿を使っています。取り寄せたものを家で熱湯で煮て、不純物を取り除いてから使います。風呂敷は70〜90cmがふつうの大きさですが、出雲では嫁入り風呂敷といって、背中に負う約130cmの大きさものもあります。かつて生地は全て手織りでしたから、小巾でしか織ることができませんでした。それを二枚巾で縫って、作ったのが二巾です。三枚重ねが三巾、四枚重ねが四巾というように巾で寸法を計っていました。
藍染の準備
糠を生地の表面に付けたままにしておくと、染める時に、生地と糊が藍甕の中で結晶化し、密着してしまいます。すると綺麗に藍が染まらなくなります。そこでほぼ水に近いぬるま湯で、布の表裏を水拭きします。この時に留意することは、生地の目の中に空気が残っていると、染めた時に藍が上手く目の中に入らないので、満遍なく水拭きをして空気を抜きます。また大きい生地を甕に入れる時には、畳んだ文様の部分がひび割れしないようにしなければいけません。水拭きすると糊も柔らかくなるので、割れにくくなります。これが無地のものでも水拭きすることで、藍を均等に吸収するようになります。この工程は欠かせない重要な作業の一つです。
藍染
藍甕は2〜3週間かけて発酵させます。藍染は、梅雨とか夏場、また雨が降った時など湿度が高くなる時期が一番難しいと言われています。なぜなら藍染は、数度染めなければならないので、湿気が多いと糊が溶けやすくなるからです。藍は毎日かき混ぜて、発酵を促進させますが夜間に不純物が甕の底に沈んでゆきます。その上澄みで染めるので、生地を慎重に入れないと底から不純物が浮き上がってきます。大きいものを染める時は、どうしても中で生地が折れ、斑が出やすくなるのでゆっくり浸けます。次に染める時には、向きを逆にして甕に入れます。回数を重ね藍の色が濃くなってくると、斑も見えなくなってきます。最終的に10〜12回ほど、繰り返し染めます。
藍甕に浸ける時間は約3分です。もともとが白い生地のため、最初に引き上げる時が酸化の具合が一番よくわかります。甕から出てくる先端は黄みがかった色をしていますが、空気に触れた瞬間に緑色に変わります。暫く干して置くと、ゆっくりと藍色に変化してゆきます。空気に触れさせる時間も約3分です。藍甕に浸ける時間と一緒にしているのは糊が溶けにくく、しっかり染料が生地に入って、酸化の時間も取れるからです。このあと天日干しをして、剥げた糊の部分の修正や、濃淡が必要なものは色の薄い部分を残す藍取りをします。その後、染めを繰り返し、全体で12〜13日をかけて完成します。
筒描藍染《風呂敷》(2017) - 作者: 長田染工場、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所
筒描藍染の風呂敷
この後、天気の良い日に向かいの高瀬川で糊を落とします。洗った生地を竹の竿で延ばし、乾燥させて出来上がりです。四巾で約3週間かかります。
この風呂敷の文様は橘の束熨斗(のし)とその実を描いたものです。昔からある文様は、面白い絵柄のものが多いのですが、職人が各々のセンスで描いているので、バランス良く組み合わせて使っています。
この風呂敷の文様は橘の束熨斗(のし)とその実を描いたものです。昔からある文様は、面白い絵柄のものが多いのですが、職人が各々のセンスで描いているので、バランス良く組み合わせて使っています。
筒描藍染(2017) - 作者: 長田染工場、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所
出雲では、昔から女性が嫁入りする時には必ず風呂敷を道具として持ってゆくという風習がありました。絵柄も、鶴・亀・松竹梅と宝尽くしや目出度いものが多く、そこには嫁にゆく女性への想いが込められています。
商品いろいろ
長田染工場では需要は少なくなってきていますが、風呂敷は昔の伝統のまま遺したいと思い、その使い方の提案を分かりやすく店頭で紹介しています。他にも、手ぬぐいやテーブルセンター、ランチョンマット、ティーマット、ストール、ハンカチなど普段使いできるものを中心に、今の暮らしに合った商品をいろいろと試行錯誤しながら開発しています。
筒描藍染《手拭い》(2017) - 作者: 長田染工場、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所
次代に繋げる
五代目の匡央さんは、21歳から仕事を始めて14年目になります。「温故知新ではないですが、昔の人たちもその時々で創意工夫をしてやって来ているので、今とやることが違うのは当たり前です。仕事の工程はほとんど覚えましたので、伝統は継ぎながら、今の時代に合った自分なりの持ち味を表現して行ければいいかなと思っています。年間通じて作れる数というのはかなり決まってきますので、そこが手仕事の良さでもあり難しいところだと最近は強く感じています」と語ってくださいました。
【協力・資料提供】
・長田染工場
【監修・テキスト】
・上野昌人
【英語サイト翻訳】
・黒崎 美曜 ベーゼ
【写真】
・森善之
【サイト編集・制作】
・玉田南倭(京都女子大学生活造形学科)
【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授)
・山本真紗子(立命館大学)