芭蕉布

沖繩の風土が産んだ健やかな織物「芭蕉布」。糸芭蕉の繊維で織られた美しい布。

作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所

京都女子大学 生活デザイン研究所

芭蕉布《喜如嘉》京都女子大学 生活デザイン研究所

喜如嘉(きじょか)の芭蕉布

沖縄を代表する芭蕉布の産地で名高い喜如嘉は沖縄本島北部の海と山に囲まれたやんばると呼ばれる地域にあります。芭蕉布はこの自然豊かな土地で古くより身分の上下にかかわらず女性たちによって織られてきました。

芭蕉布《喜如嘉の芭蕉布》京都女子大学 生活デザイン研究所

歴史

1907(明治40)年に開催された芭蕉布品評会をきっかけに副業としての生産が奨励されました。耕作地が少ない村に生命力の強い糸芭蕉の生育が適していたこと、優秀な船大工として那覇へ進出して行く村の男たちの留守中の女性の仕事として見直されたのでした。1940(昭和15)年大宜味村芭蕉布織物組合が設立され産業として研究開発が行われますが、太平洋戦争の始まりとともに中断されてしまいます。戦争終結後は生活様式の変化などが原因で生業として成り立たず困難な時代が続きますが、平良敏子氏らの尽力が実を結び社会的評価は高まっていきます。1984(昭和59)年喜如嘉芭蕉布事業協同組合が設立され、1986(昭和61)年には大宜味村立芭蕉布会館がオープンし後継者育成事業などに取り組んでいます。現在は喜如嘉の芭蕉布として国の重要無形文化財に総合指定されています。

芭蕉布《糸芭蕉の栽培》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

糸芭蕉の栽培

芭蕉の木には実芭蕉(バナナ)、花芭蕉、糸芭蕉の3種類があります。これらのうち芭蕉布の原料となるのは糸芭蕉の木です。地下茎で増えるために植え替える必要はありませんが、最初の数年は繊維が粗く良い糸は採れません。喜如嘉では、木の幹の太さを均一にしたり樹皮の繊維を柔らかくしたりするために施肥、葉落とし、芯止めなどを行います。上質な糸芭蕉を栽培するため一年を通して欠かさず畑の養生に努めます。

芭蕉布《苧剥ぎ》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

苧剥ぎ(うーはぎ)

収穫した芭蕉の樹皮を剥ぐ作業を苧剥ぎ(うーはぎ)と言います。根元側を上にして表面から一枚ずつ剥いでいきます。

芭蕉布《苧剥ぎ》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

皮は4種類に分けられ外側より順に「うわーはー(上皮)」は座布団地などに、「なはうー(中苧)」は帯地などに、3番目の最も上質な「なはぐー(中子)」は着物地になります。中心部は「きやぎ」といい主に染色糸として利用されます。

芭蕉布《苧干し》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

苧干し(うーぼし)

いくつかの工程を経て、選り分けられた繊維は風にあたらないよう日陰で干されます。

芭蕉布《苧績み》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

苧績み(うーうみ)

乾燥させた糸芭蕉の繊維「苧」を鞠状に丸めたものを「チング」といいます。「チング」より糸をつないで行く作業が苧績みです。先ず水を張った鉢に30分ほど「チング」を浸し絞ります。次に用途に応じた太さの小刀で繊維を細く裂いていきます。糸が均一に積まれていることが反物の品質の決め手になるので、この作業に最も時間が費やされます。

芭蕉布《撚り掛け》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

撚り掛け

「撚り」とは撚り掛け機を使い、糸を螺旋状に捻る作業です。経糸と緯糸は、毛羽立ちを防ぎ強度を増すために霧を吹き付けながら撚りをかけます。撚りが甘いと毛羽立って織りにくく、強すぎると絣(かすり)を表現するための調整作業である絣合わせの工程が難しくなり、風合いも悪くなってしまうため熟練した技術が必要です。

芭蕉布《染める》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

染める

喜如嘉では染料として主に「相思樹」と「琉球藍(えー)」という沖縄の植物を使います。車輪梅は喜如嘉周辺の山に自生しており身近な染料です。茶褐色系に染め上がります。琉球藍は東南アジア原産で、本土などで栽培される蓼藍とは違う種類です。染め上がりは藍色になります。

芭蕉布《織る》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

織る

芭蕉糸は乾燥に弱いため、緯糸は事前に水に浸し、経糸は霧を吹き付けながら織ります。雨の日や梅雨の季節などが適しています。通常3〜4週間かけて一反を織り上げます。

芭蕉布『芭蕉布物語』撮影: 村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

芭蕉布物語

柳宗悦は喜如嘉を訪れた際に詳細な聞き取り調査を行いました。そして本書は1943(昭和18)年に限定225部の私版本として上梓されました。この名著は平良敏子氏が芭蕉布復興を志すきっかけの一つとなりました。「今時こんな美しい布はめつたにないのです。いつ見てもこの布ばかりは本物です。その美しさの由来を訪ねると理の當然であつて、どうしても美しくならざるを得ない事情にあるのだとさへ云へるのです」前書きより

芭蕉布《平良敏子》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

平良敏子

平良敏子氏は第二次世界大戦終結後、倉敷紡績に勤務しました。この倉敷時代に大原総一郎氏の勧めにより外村吉之助(後の倉敷民藝館館長)の元で染織の基本を学びます。柳宗悦の民藝運動に影響を受けて芭蕉布復興を決意し、1946(昭和21)年帰郷します。生活様式の変化などで生業として成り立たたず苦しい時代が続きますが、数々の展覧会などに出品を重ねるうちに高い評価を得るようになります。そして2000(平成12)年「芭蕉布」における国の重要無形文化財(人間国宝)に個人指定されました。

《芭蕉布》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

現在、そして未来へ

現在、喜如嘉での生産量は年間約130反。後継者の育成事業に向けて織り手の方々の努力が日々続けられています。また、喜如嘉芭蕉布事業協同組合理事長の平良美恵子氏が中心になり、海外で開催される染織品の展覧会などにも積極的に芭蕉布を展示出品協力されています。2016(平成28)年秋には、英国ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に平良敏子氏作の芭蕉布着物が収蔵されました。このように海外へも芭蕉布の価値を広め、未来へとつなぐための取り組みが続けられています。

芭蕉布 《大宜味村立芭蕉布会館》撮影:村林千賀子京都女子大学 生活デザイン研究所

大宜味村立芭蕉布会館

芭蕉布会館は芭蕉布の技術を後世に伝えるための後継者育成を目的とした施設です。また一般の旅行者などが訪れ芭蕉布の世界に触れることができる貴重な場でもあるとともに現在の織り手の方々の共同作業場にも使われています。1階の展示室では製品の展示販売や制作工程のビデオの上映が行われています。2階の工房では実際に手織りの作業工程を見学することも可能です。

提供: ストーリー

【取材協力】
・平良美恵子
・芭蕉布織物工房
喜如嘉芭蕉布事業協同組合

【資料提供】
・平良美恵子
喜如嘉の芭蕉布保存会

【監修・テキスト】
四釜尚人

【写真】
・村林千賀子
四釜尚人

【翻訳】
・黒崎 美曜・ベーテ

【翻訳監修】
・メリッサ・リンネ (京都国立博物館

【サイト編集・制作】
・池田優花、植山笑子(京都女子大学生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
もっと見る
関連するテーマ
Made in Japan : 日本の匠
日本が誇る匠の技をめぐる旅
テーマを見る

Visual arts に興味をお持ちですか?

パーソナライズされた Culture Weekly で最新情報を入手しましょう

これで準備完了です。

最初の Culture Weekly が今週届きます。

ホーム
発見
プレイ
現在地周辺
お気に入り