江戸時代末期から続く松江の籐細工。花びらを編み上げるような美しい花結は一子相伝の高度な技術。

花結とは何か
籐(とう)はヤシ科の蔓(つる)の総称で、アジアではインドネシアとかマレーシアの熱帯雨林で育ち、日本では栽培できません。籐は竹に較べて、丈夫で折れにくいという特徴があります。松江藩に仕えていた長崎家では江戸時代末期より、籐を使って茶道具の炭斗(すみとり)などを作っていました。二代目の長崎福太郎がこの籐を使って花結を始めました。作る人によって花編、花結、六角編などと呼び方も違っているようです。
長崎家の歴史
明治維新以後も長崎家では代々、籠を製作してきました。日本の高度成長期には海外から安価な籐製品が大量に輸入され、国内の籐細工は大きな打撃を受けました。それでも長崎家が生き残ったのは、松江の茶の湯に支えられた花結の技術と、職人の意地があったからだと六代目長崎誠さんは語ります。現在、長崎さんは松江市大庭町にある「出雲かんべの里」で籠の製作をしながら、週2回の体験教室で市民の人たちなどに籐細工造りの楽しさを指導しています。平成15年に花結の籐籠は、「島根県ふるさと伝統工芸品」の認定を受けました。
技を伝える
六代目の長崎誠さんは、現在も籐の作品の製作を続けていますが、長崎家には跡継ぎがいません。そこに現れたのが、鞄作家の川口淳平さんでした。川口さんは松江のギャラリーで、巾着の付いている花結の籠を見て、これを使って鞄を作ることができるのではないかと思い、長崎さんを訪ねました。ところが長崎さんは仕事で長年座り続けたため腰が悪く、新作を作るのは無理だと断りました。川口さんはこのままでは跡継ぎどころか、籠を作る技術自体が無くなってしまうと思い、2009年から「出雲かんべの里」の工房に通うようになります。
出雲かんべの里 工芸館
素材としての籐
籐は主に、日本では敷物や家具などに使われてきました。用途によっていろいろな種類の籐がありますが、籐籠に使うものは比較的幅が細いもので、直径 4〜8mm ほどの蔓状になっています。外見は竹に似ていますが、内部の構造は繊維層になっていて、その中をたくさんの導管が走っています。竹と籐細工は編み方はほぼ同じですが、花結は竹ではできません。籐の方が粘りがあると作り手の方は言いますが、竹は無理に曲げると折れてしまいますが、籐は蔓なのでいくら折り曲げても折れません。
一子相伝の花結
八代目を継いだ川口さんの両手の指には、絆創膏が巻いてあります。籐の表面が硬く、力を入れて締めた時に手の皮が痛むので、籠を編むときは絆創膏を付けて作業しています。小さな花を作るのは難しいことではありませんが、花結を積み重ねて籠にすることは技術的にも、体力的にも大変なことです。大正時代に花結の籠を作った人が大阪にもいたという話ですが、普通の笊組から較べると約5倍ほどの時間がかかるので、値段も高くなってしまい、安価な外国製の籐のものに、少しずつ取って代わられてしまいました。
親子三代で楽しめる籐籠
籐は使えば使うほど、色も艶も良くなってゆきます。また使い込んでゆくと、花の凸凹が目立たなくなり、籠が一番いい状態になるのには、約30年ほど時間がかかりますが、籐籠は100年以上使うことができます。ですから親子三代で楽しめますし、籐の籠は珍しいので、着物を愛好する方にも人気があります。
八代目の作品
鞄作家らしく、手提げ鞄として籐籠は作られていますが、把手と巾着を外すと籠としても使うことができます。もちろん持ち手も川口さんの仕事です。
花結を継なぐ
長崎さんはお手本を見せてくれましたが、編み方はほぼ口伝でした。八代目を継いで、川口さんは技術をほぼ習得しましたが、跡を継いでくれる人が見つかれば、その人に花結を託してもいいと考えています。それまでは川口さんが籐籠を造り続けます。
ミントチュチュレザー 川口淳平商店
京都女子大学 生活デザイン研究所
提供: ストーリー

【協力・資料提供】
出雲かんべの里
ミントチュチュレザー川口淳平商店

【監修・テキスト】
・上野昌人

【英語サイト翻訳】
・黒崎 美曜・ベーテ

【撮影】
・森善之

【サイト編集・制作】
・杉島つばさ(京都女子大学生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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