『なまくら刀』(フィルムコマ抜き)、1917出典: 国立映画アーカイブ
「漫画映画」の始まり
2017年に日本のアニメーションは誕生100周年を迎えたとされる。この定説に従えば、下川凹天、北山清太郎、幸内純一の3名がそれぞれ相次いでアニメーション作品を発表した1917年が日本アニメ元年となる。
これら最初期の日本アニメを作った人物のなかには、マンガ家が多くいた。現存する初の国産アニメ『なまくら刀』(1917)を手がけたのも、先の3人の創始者のうち、政治漫画で知られていた幸内純一である。かつてアニメが「漫画映画」と長らく呼ばれていたことからも分かるように、アニメはその歴史の始まりからマンガと密接な関係にあった。
映画『桃太郎 海の神兵/くもとちゅうりっぷ -デジタル修復版-』、1943/2012出典: ©1943/2012 松竹株式会社
娯楽性とリアリズム
国産初の本格的長編アニメーション映画といわれるのが、戦時中に公開された『桃太郎 海の神兵』(1945)である。もともと日本アニメは娯楽性だけでなく、児童向けに教育的な機能を担わされてきたという経緯もあり、本作では戦時下における国威発揚のため、リアリティのある軍事描写がなされている。
このアニメ作品は若き日の手塚治虫らに強い影響を与えたことでも知られるが、娯楽性とリアリズムが手を組むことは、戦後日本における児童マンガの発展にとっても重要なファクターとなっていった。
アニメ『鉄腕アトム』、1963出典: (C)Tezuka Productions
「テレビまんが」の時代へ
現代でも主流の「毎週30分放送」というテレビアニメのフォーマットを確立した『鉄腕アトム』(1963)は、幼い頃からアニメへの熱意を抱いていた手塚治虫が、自身のマンガを原作に、自ら設立した虫プロダクションで制作した作品である。
ヒットした児童向けマンガを原作にテレビアニメを制作し、キャラクター商品なども含めてマーチャンダイジングするというビジネスモデルはその後も定番となった。
また、アニメ映画がかつて「漫画映画」と呼ばれていたように、テレビアニメは長らく「テレビまんが」と呼ばれることになった。
アニメ『あしたのジョー』、1970出典: © 高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS
児童から青年へ
1960年代後半の児童向けマンガは、1950年代末に興った「劇画」と呼ばれるムーブメントの成果を取り入れることで、ターゲットとする読者の年齢層を上昇させていた。そうした動向を推進した『週刊少年マガジン』などのメジャーな少年誌から原作を得たテレビアニメの視聴者もまた、児童だけでなく青年へと広がっていった。
そんな時代、「スポ根」ブームのなかで生まれた『あしたのジョー』(1970-71)は、監督の出崎統によって、原作の迫力あるタッチの画風が最大限に活かされ、止め絵などの演出が多用されたことで知られる名作だ。
アニメ『サザエさん』、1969出典: © 長谷川町子美術館
国民的コンテンツの誕生
テレビアニメは1970年代以降も、アニメオリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』(1974-75)、『機動戦士ガンダム』(1979-80)などの作品によって、さらに視聴者の年齢層を上昇させていくが、同時に、老若男女に親しまれるヒット作も多く生み出した。
新聞連載の4コマ漫画だった『サザエさん』(1946-74)や、少女マンガ誌連載の『ちびまる子ちゃん』(1986-96)などは、テレビの電波を通じてお茶の間に届けられることで、原作の発表媒体の枠を超えた国民的コンテンツとなり、長寿番組に成長した。
映画『風の谷のナウシカ』、1984出典: 風の谷のナウシカ© 1984 Studio Ghibli・H
長編アニメ映画の系譜
劇場用の長編アニメ映画の系譜では、「東洋のディズニー」を目指して1956年に誕生した東映動画が質の高いオリジナル作品を制作し、初の国産カラー長編アニメ映画である『白蛇伝』(1958)を皮切りに、毎年のように長編アニメを世に送り出した。
この東映動画の出身である高畑勲と宮崎駿は、後に設立されたスタジオジブリで多くの長編アニメ映画を監督し、国民的作家となっていく。彼らの作品の多くはオリジナルだが、ジブリ設立直前に制作された『風の谷のナウシカ』(1984)は、監督の宮崎駿自身が執筆した連載マンガを原作にしている。
宮崎駿『風の谷のナウシカ』徳間書店、1巻、1983出典: © Studio Ghibli
アニメ作家によるマンガ
宮崎駿によるマンガ版『風の谷のナウシカ』は、アニメ情報誌『アニメージュ』で1982年から連載された。必ずしもアニメ化を前提とはせず、また一般受けも狙わずに宮崎が好きな題材で描いたことで、メジャーなマンガ誌からは生まれにくい独創的な作風となった。宮崎の細かなタッチが存分に味わえるほか、アニメーターならではとも思われるコマ割りのテンポが興味深い作品である。
自ら監督したアニメ版の公開後も1994年まで描き継がれ、もはやアニメ版とは別物にまで発展した壮大な物語は、日本マンガ史に残る傑作と名高い。
アニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、1995出典: -
日本アニメと海外進出
歴史上、日本アニメの海外進出、海外輸出は様々なかたちで行われてきたが、国内市場が十分に大きかったこともあり、必ずしも積極的とはいえない時期が長かった。しかし1990年代には、海外でどう評価されているか、流通しているかということも注目され重視されるようになった。
士郎正宗のマンガ『攻殻機動隊』(1989)を原作とする、押井守監督の劇場用アニメ『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995)は、アメリカのビルボード誌でビデオソフトの週刊売上1位を記録し、その「快挙」によって「海外で評価される日本アニメ」の象徴となった。
士郎正宗『攻殻機動隊』講談社、1巻p.101、1991出典: ©︎Shirow Masamune
メディアごとの特性に即した表現
士郎正宗によるマンガ『攻殻機動隊』は、ここに掲載した場面にも見られるように、欄外に注釈まで付された膨大な情報量で読者を圧倒する。それは、読者が自分のペースでじっくり読める紙の本だからこその作風である。
他方、押井守が監督したアニメ版は、原作の設定や物語からエッセンスを抽出したうえでコンパクトな上映時間に収め、映像表現の力で魅せる作風だ。
士郎正宗『攻殻機動隊』講談社、1巻p.101、1991出典: ©︎Shirow Masamune
士郎正宗の原作マンガも押井守によるアニメ版も、それぞれが各々のメディアの特性を活かした傑作と言える。
アニメ『ピンポン』2014出典: (c) 松本大洋・小学館/アニメ「ピンポン」製作委員会
メディアを越境する交流
長きにわたって親密な関係を築いてきた日本のマンガとアニメだが、2000年代以降はライトノベルやゲームを原作にしたテレビアニメも急増し、マンガは数ある原作供給源のひとつになりつつある、とも考えられる。しかし、息の長い国民的タイトルの多くはマンガを原作にしており、メディアを越境するマンガとアニメの交流はいまなお日本文化の中核にある。
この交流は先端的でユニークな表現も生み出し続けている。例えば湯浅政明監督の『ピンポン』(2014)では、松本大洋による原作マンガのコマ割りを思わせる画面分割の手法が鮮やかに用いられた。
文:三輪健太朗
編集:宮﨑由佳(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作