作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所
京都女子大学 生活デザイン研究所
料理模型の誕生
大正初期、当時の日本では写真技術が遅れていたこともあり、モノを表すための造形技術が進化しました。そんな中、衛生試験所などで用いられる保健食 の「料理模型」が誕生しました。日本で初めて料理模型を製作したのは島津製作所といわれています。
作り方(初期)
実物に寒天をかけ型を作り、石蝋を流しこみます。その時に和紙や綿で裏打ちをすることで補強していました。最後に絵の具で彩色をして完成です。模型は、石膏で型をとるのが通常でしたが、料理模型は寒天で型をとっていました。
百貨店食堂での陳列
大正12年、百貨店における食堂を初めて開設した白木屋が「店頭における飲食物見本の陳列」と「食券制度」の併用を実施しました。その結果、回転率が上がり、食堂の売り上げは従来の4倍に伸び、勘定の間違えも減りました。実物を置くと、変色や腐敗、ハエがたかるなど様々な問題が生じたため、蝋の見本は画期的なものでした。
事業化の道のり
昭和7年、大阪府北区老松町に「食品模型岩崎製作所」が創業しました。創業者の岩崎瀧三は、食品模型を見たとき、幼少期に蝋を水に落とし花のように咲かせる遊びに熱中していたことを思い出し、それが蝋でできていることを直感したといいます。瀧三は、まだ企業化されていない現状を読み取り、自ら企業化し、日本全土に普及させることを決意しました。
昭和初期の販売方法
蝋は熱や直射日光に弱く、型崩れや変色といった問題があるため、販売ではなく、貸し付けという方法を採用しました。1カ月の貸付料は、実物の10倍の値段にすることで顧客開拓に成功しました。
戦時中
物資が不足し、食品模型への需要は薄れていきました。更に、食品模型の原料のパラフィン(石蝋)が火薬やダイナマイトの原料に用いられ容易に入手不可能に。昭和18年には大阪府によって「米食を提供しない食堂が、食品模型を陳列するのは詐欺行為である」という府令がだされ、食品模型の陳列が全面禁止となりました。食品模型を作ることができない代わりに、戦死者の葬儀用供え物の模型を製造・販売して難局をしのぎました。
作り方(戦時中)
珪藻土を布海苔と混ぜ合わせ、石膏の型に入れて固めます。固まったところで金網に載せ、ガスで急激に乾燥。その半製品にコンプレッサーで蝋を吹き付けます。この方法により、石蝋の量を従来の0.05%まで節約することが可能になりました。
事業拡大
終戦し、平和を取り戻したことによって飲食店の営業が再開され、食品サンプル事業は拡大します。また、今までは食べることのできなかった洋食が普及したことで、名称だけで、判断できない食べ物を視覚的に表すことのできる「食品サンプル」は重宝されるようになっていきました。
大改革
1970年代、先進国となった日本では、電化製品の急激な発達によりライトの付いたショーケースが次々と飲食店に導入されました。ショーケースの内部が高温となったことで光や熱に弱い蝋で作られた食品サンプルは溶けてしまうという問題が発生しました。また同時に、温暖化の影響で室温でも溶けてしまうことがあったといいいます。そこで、各食品サンプル会社は研究を重ね、現在も使用される塩化ビニルやシリコン、レジンなどの化学樹脂を使用した溶けない、耐久性の高い食品サンプルへと発展させました。
作り方(1970年代~)
実物にシリコンをかけて型を作ります。その型に、着色した化学樹脂を流しいれ、専用のオーブンで加熱。その後、エアブラシと筆を駆使して彩色を行います。
瞬間の表現の誕生
食品サンプルはただの料理見本から、販売促進ツールへと変化したことで、リアルさだけでなく「おいしさ」の表現力が求められるようになっていきます。蝋から種類の豊富な化学樹脂へと素材が変化したことで、硬さや質感も再現することができるようになり、表現の幅は格段に広がりました。
低迷期
バブル崩壊後、印刷技術の向上によって、安価にポスターやチラシ、メニューを印刷できるようになったため、高価で場所をとる食品サンプルの需要が少なくなっていきます。また細部まで精密に再現できる3Dプリンターの登場で、医療系の模型に携わっていた食品サンプル会社の多くは廃業してしまい、かつて200社ほどあった事業者は2020年までに100社ほどにまで減少してしまいました。
観光客の増加と雑貨の需要
2010年代、ビザ緩和により、外国人の旅行客が増加しました。それにより、文字で書かれたメニューより、視覚的においているものがわかる食品サンプルが多くの店で使用されるようになりました。また、一般向けにお土産や、雑貨として販売したことで、食品サンプル専門店である株式会社デザインポケットでの売り上げは従来の1.5倍ほどになりました。
職人の変化
歴史の深い食品サンプルの世界では、丁稚奉公のような働き方が主流となっていました。しかし、低迷期には職人を育てる余裕がなかったため、後継ぎが減り、職人の高齢化という問題が発生しました。そこで2012年、倉橋幸子氏が「デザインポケット食品サンプルクリエイターズスクール」を設立。食品サンプルの作り方だけでなく、経営方法を教え、自立した職人の育成を試みています。
今後の食品サンプル
今後は海外への展開に期待をしています。現在、海外では、本物の食材をショーケースに並べているところも多くみられますが、近年のフードロスやコロナウイルスの影響もあり、本物を置くことへの抵抗感が増し「食品サンプル」の導入を視野に入れているところも増えているといいます。100年間、求められる居場所を見つけ日本中から認知されるようになった「食品サンプル」は、今後も時代の流れに沿った在り方に変化し、海外にも名を馳せていくことでしょう。
【資料提供・協力】
株式会社デザインポケット
倉橋幸子
・食品サンプル専門店デザインポケット大阪本店
・食品サンプルオンラインショップ
【参考文献】
野瀬泰申 著『眼で食べる日本人:食品サンプルはこうして生まれた』旭屋出版, 2002年
・岩崎瀧三 述, 高田英太郎 編『蝋の花:食品模型王・岩崎瀧三伝』いわさき, 1982年
【テキスト・サイト編集】
岩﨑かなえ(京都女子大学 生活造形学科)
【カメラマン】
前﨑信也(京都女子大学 生活造形学科)
【英語翻訳】
エディー・チャン
【撮影協力】
・株式会社デザインポケット
・FOREST GREEN PASTA & BAKE by ROCCA & FRIENDS
【関連サイト】
食品サンプル