明治に建てられ、昭和、平成の大改修を経て、現役の迎賓施設として活躍する迎賓館赤坂離宮のご参観いただける施設について紹介します。
迎賓館迎賓館赤坂離宮
迎賓館赤坂離宮本館
迎賓館赤坂離宮の本館は、日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築で、鉄骨補強れんが造りの表面に花崗岩を石張りした地上2階、地下1階の建物です。ネオ・バロック様式は、19世紀半ば、フランス・ナポレオン三世の第二帝政において始まったもので、左右対象の外観や、豪華絢爛な装飾が特徴となります。建設当初から震災予防が考えられ、壁中の縦横に鉄骨を組み、床下には鉄材を使い耐震耐火構造としています。事実、建設後に発生した関東大震災に耐え、100年以上経過した現在でも、威風堂々とした姿を保っています。
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前庭(初夏)迎賓館赤坂離宮
本館正面は、東西の両翼が北側に張り出しています。
両翼の先端には玄関があり、かつては東玄関が皇太子殿下のためのもの、
西玄関を皇太子妃殿下のためのものとされました。
2階中央部の柱はコンポジット式、片蓋柱はイオニア式とし、中央の強調を意図しています。
水平凸起層を強調した1階とイオニア式片蓋柱により区画された2階の立面の対比も特徴となっています。
噴水(夏)迎賓館赤坂離宮
南側の主庭から見た本館です。
中央部にはオーダー柱に支えられたペディメント。
1階は連続アーチのアーケードベランダとし、壁面は北壁同様水平凸起層を巡らせ、2階は複柱式コロネードベランダという構成をとっています。
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正面玄関迎賓館赤坂離宮
賓客は、この扉を通って本館に入ります。
扉の上には皇室の御紋章である菊の御紋が掲げれています。
正面玄関ホール迎賓館赤坂離宮
正面玄関ホールに入り、まず目に入るのが正面から天井へ続く白い壁です。
昭和の大改修のとき総指揮をとった村野藤吾は、建物全体の明るさを調和させる「白」を苦心して生み出しました。村野は、従来のごとく真白のままでは役所のようで味気なく、目には暖かく見えないだろうと考え、「白そのものが白く見えるのではなく、白く感ずることが白になる」という発想から独自の色を創作しました。
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正面玄関ホール迎賓館赤坂離宮
床には、黒と白の大理石が市松模様で張られています。
これは、ヴェルサイユ宮殿の離宮のひとつ、グラン・トリアノンの床を参考に施されました。大理石は、昭和の大改修のときに全て張り替えられています。
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創建当時は、紅色のものと緑色のものが交互に並べられていたようですが、館全体を明るい雰囲気で統一するため昭和の大改修のときに張り替えられました。
中央階段迎賓館赤坂離宮
階段上の欄干には朝日の絵が描かれ、中央階段を上ってくる賓客を朝日で出迎える演出になっています。
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賓客がお帰りになるときにご覧になる景色です。
中央階段迎賓館赤坂離宮
コリント式の付柱は模造大理石(スタッコウ)です。
創建当時は、高い技術力を示すものとして用いられてようです。
階段を上るときに見える朝日と対になる夕日が描かれています。
夕日とともにお見送りする演出になっています。
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花鳥の間迎賓館赤坂離宮
室内の壁面全体を茶褐色のシオジ材で板張りし、重厚な雰囲気を醸し出し、装飾は、16世紀後半にフランスで流行した直線や平行線を用いた文様や形式が特徴的なアンリー2世様式を採用しています。
彩鸞の間迎賓館赤坂離宮
彩鸞の間
彩鸞の間は、条約や協定の調印式を行ったり、晩餐会のときに、招待客が賓客に謁見したりと幅広い用途に使われています。
室内の装飾は、19世紀初頭、ナポレオン1世の帝政時代のフランスで流行したアンピール様式で、軍隊調のモティーフを数多く取り入れた、壮大で古典的格調漂う作風が特徴です。
迎賓館迎賓館赤坂離宮
協力 平賀 あまな(東京工業大学特任准教授)
写真 大河内 禎
制作 迎賓館
翻訳 Eddy Y. L. Chang
ビデオ制作 DJI Japan corp.
編集 CEKAI