三柱神社の鳥居立花家史料館
三柱神社
1826年に創建された三柱神社は、初代柳川藩主立花宗茂、正室誾千代、そして誾千代の父、戸次道雪の三神を祀る、柳川でもっとも尊崇される神社の一つです。
三柱神社の境内には、百以上の石造物があります。なかには、19世紀前半の柳川出身の横綱・雲龍久吉が奉納した石灯籠や、20世紀前半に詩聖と呼ばれた、柳川で親しまれている詩人・北原白秋の歌碑もあります。
どろつくどんの山車立花家史料館
三柱神社の秋の大祭「おにぎえ」は、「賑わい」に由来する名前をもつ、盛大なおまつりです。おまつりでは、「どろつくどん」と呼ばれる山車が先導して、柳川の町中を神さまの行列が進みます。動く山車の上では、 太鼓や笛による 囃子 にあわせて、天狗、お多福、般若などの面をつけた踊り手が、大きな身振りで踊ります。この山車「どろつくどん」は、福岡県無形民俗文化財に指定されています。
三柱神社立花家史料館
三柱神社は、2005年6月3日の火災により、歴史的価値がある建物に大きな被害を受けました。元の姿に復現するには、大変な時間と費用がかかります。現在、18世紀後半に作られた時の姿に戻すために、募金活動が続けられています。
福厳寺立花家史料館
福厳寺
福厳寺は柳川藩主立花家の菩提寺です。もとは福岡県北部にある立花山城の周辺に、初代柳川藩主・立花宗茂の義父・戸次道雪を弔うために建てられた、梅岳寺という寺でした。
1669年、三代柳川藩主・鑑虎は、梅岳寺の宗派を黄檗宗に改め、名前を福厳寺と変えました。そして、広大な敷地に立派な建物を作ります。
良清寺立花家史料館
良清寺
良清寺は、1621年に、初代柳川藩主・立花宗茂が、正室・誾千代を弔うために建立した寺です。 1600年の関ヶ原の戦いで宗茂が敗れ、柳川の領地を没収されたことから、誾千代は現在の熊本県玉名郡長洲町に移り住みました。2年後に同地にて逝去。
1620年に奇跡的に大名として旧領の柳川へ戻ってきた宗茂は、翌年、誾千代の法名をつけた良清寺を建立します。誾千代姫の墓所は、三十三回忌に当たる1634年に、誾千代が亡くなった熊本の地から改葬されました。
瑞松院立花家史料館
瑞松院
瑞松院は、1624年に、 立花宗茂が、正室・八千を弔うために、もとの本覚寺という名から、八千の法名に由来する名に改めた寺です。
八千は、誾千代の没後に、宗茂の正室となりました。矢島家は、代々、立花家の家老を務めました。1624年、八千は柳川藩の江戸屋敷で逝去、遺髪が柳川の寺に葬られ、その寺の名前が瑞松院と変わりました。八千の三十三回忌に建てられた宝篋印塔などが残っています。
天叟寺立花家史料館
天叟寺
天叟寺は、1634年に立花宗茂が、実父である高橋紹運を弔うために建てさせた寺です。1586年、島津家の大軍が攻めてきて、宗茂の父・紹運が守る岩屋城での決戦がはじまります。激戦の末、紹運をはじめ700余名全員が敗死しました。
1634年、宗茂は父の五十年忌にあわせて、紹運の菩提寺を建立するように命令します。天叟寺には紹運の霊牌とともに岩屋城での戦没者をすべて記した位牌も安置され、現在も毎年法要が営まれています。
公益財団法人立花財団
立花家史料館
展示製作
立花宗茂生誕450年記念実行委員会 ≪城下町柳川と武家文化≫ 発見・体験プロジェクト
令和2年度 地域と共働した博物館創造活動支援事業