作成: 立命館大学アート・リサーチセンター
立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学
保存容器だった結桶
水回りの器具や運搬、保存の容器に用いられた桶は、最初、木を刳りぬいた素朴なものでした。やがて、へぎ板を綴じた曲輪に変わり、鎌倉時代には割板を円形に接合した結桶が登場。風呂桶から飯櫃まで様々なサイズに対応可能で、しかも丈夫なことから、結桶は暮らしや産業を支える必需品として広まります。江戸時代には地元材による結桶が各地で作られました。戦後、プラスチック製品の普及により需要が激減しますが、白木の清々しい香りや機能美ゆえに、近年見直されている道具のひとつです。
江戸結桶の老舗
大消費地の江戸では、材木は各地から運ばれ、職人は要望に応じて桶作りをしました。現在の江東区深川の木場は、江戸時代初期より良質な木材の集積場として発展します。東京で唯一残る江戸結桶の店・桶栄は、明治20年(1887)に深川にて開業。木材を調達できる地の利があり、深川の花柳界での需要もあったからでした。初代の川又新右衛門が作る飯櫃や桶は形の美しさと丈夫さで評判を呼び、多くの料亭で使われました。その後のライフスタイルの変化で、結桶職人は激減しますが、桶栄では、四代目の川又栄風が江戸結桶を受け継ぎ、制作を続けています。
江戸結桶の特徴
秋田、木曽、京都など、今でも各地で特徴のある結桶が作られていますが、江戸結桶といえば質実ですっきりした形と材のほどよい厚みが特徴です。特に飯びつは、ほどよく水分を吸う厚みを考えた上で、野暮にならない厚みで作っています。以前の桶作りは、風呂桶、たらい、飯びつなど、それぞれ専門に分かれて製造していました。桶栄は二代目・川又栄吉(1909−1981))の時代から飯びつが主力に。蓋と身をぴたりと合わせる技術が求められる飯びつは、桶職人の中でも一目置かれる存在だったといいます。
木曽産天然さわらを 昔ながらの手割りで
江戸結桶の側板(がわいた)は手割りによるもの。まずは、桶の高さに合わせて玉切りした丸太に、鉈を当てて木槌で打ちつけ、柾目の割材を作ります。材は木曽産の天然さわらで樹齢三百年もの。天然木は、年輪が緻密で揃っているため収縮率が均等なこと、油分が多いので水や酸に強いこと、手に持てば軽く、木の香りもやわらかいことなど、他に替えがたい良さがあります。近年は林野庁の伐採制限により入手が難しくなっていますが、代々のこだわりを守っています。
木の狂いを徹底的に排除
自然の産物である木材は狂いが出やすいものですが、それをいかに克服するかもまた、人の知恵。丸太を柾目取りするのは、材に狂いが出にくいがゆえ。また、白太(しらた)と呼ばれる丸太の外側は水分が多く、その部分まで使うと狂いが出やすいため、内側の赤太(あかた)だけで製造します。手割りした側板は約半年かけて天日乾燥、さらに薪を焚いた乾燥場で丸一日乾かします。こうした下準備を経て、結桶作りが始まります。
桶を組んだ後、 内外を削る鉋
天然さわらの清々しい白木の美しさは、何度となく表面を削る作業により生まれます。桶の側板を組んだ後、丸鉋で内側と外側を削ります。
代々使われてきた道具
桶のパーツ、工程、またサイズにより、さまざまな鉋を使い分けます。鉋の刃は昔のもののほうが質がよい鏨を使っていることもあり、代々使い続けているものも多くあります。
結桶の新しい形
清々しい白木の側板を洋白銀の細たがで締めた結桶は、現代のインテリアになじむスタイルとして人気を呼んでいる、桶栄四代目・川又栄風(1961ー)の仕事。江戸結桶の品質と機能を守りながら、現代の生活様式にふさわしい姿と用途を追究し続けています。
資料提供:桶栄
写真:渞忠之、田中敦子
取材協力:ウェッジ「ひととき」編集部
監修&テキスト:田中敦子
編集:京都女子大学 生活デザイン研究所 田岡佑梨(京都女子大学家政学部生活造形学科)
プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授)