ドラえもんの生みの親 藤子・F・不二雄を知る

数々の名言とミュージアムの展示から、『ドラえもん』の作者の素顔をフィーチャー!

展示室Ⅰ(常設展示場)の展示出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

世界中にファンを持つ『ドラえもん』を生んだまんが家、藤子・F・不二雄の世界とは? 彼が生前に残した言葉と「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」の展示をヒントに、児童まんがの名手の世界を旅しよう。

内観 まんがコーナー出典: ©Fujiko-Pro

世界中で愛される作品を生み出した藤子・F・不二雄こと、本名・藤本弘。1933年富山県高岡市に生まれ17歳でまんが家デビューを果たした彼は、『オバケのQ太郎』(1964、藤子不二雄 Ⓐ との共著)、『パーマン』(1967)、『キテレツ大百科』(1974)に加え、今や世界55か国でアニメ放送されている『ドラえもん』(1970)の生みの親だ。夢を描き続けた彼の生涯で、まんがはどんな存在だったのだろう?

藤子・F・不二雄のポートレイト出典: ©Fujiko-Pro

「描くぼくが楽しみ、読んでくれる人も楽しむ。そんな漫画がずっとぼくの理想なんだ」

繊細な指の持ち主は、幼稚園児の頃から絵本やマンガが身近にあり、紙芝居の真似事をして遊んでいた。小学5年生のときに安孫子素雄(のちの藤子不二雄Ⓐ)が隣町から転校してくると、マンガで意気投合。一緒に肉筆の回覧誌を作ったり、『漫画少年』誌や『少年画報』誌に投稿するなど、勉学はそこそこにまんが漬けの日々に突入する。

展示 手塚治虫とのつながりを紹介出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「僕らは漫画を卒業しませんでした」

そんな藤本少年たちに衝撃を与えたのが、「マンガの神様」こと手塚治虫。彼の『新宝島』(1947)を読み、「その動きやスピード感は、まるで映画を見ているよう」とショックを受けたそう。当時はマンガが市民権を得る、はるか前。大人になればマンガを読むのをやめるのが一般的だった。しかし深いテーマを持つ手塚作品に、「中毒」になるほどのめり込んでいく。のちに上京する際、工夫を凝らしたファンレターをせっせと送り続けたこの「神様」から、トキワ荘の部屋を引き継ぐことに。

展示 愛用していた仕事道具出典: ©Fujiko-Pro

飾らない人柄で、自分を大きく見せることは決してなかった藤子F。画材も凝ったものではなく、文房具屋に売っているごく一般的なものを使っていたというのが微笑ましい。家庭と仕事場をきちんと分け、本やお弁当が詰まったカバンをさげて、小田急線で新宿のスタジオまで通勤していた「巨匠」は藤子Fくらいかもしれない。

企画展示「ドラえもん50周年展」の展示(2020年)新連載予告ページ出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

『ドラえもん』の連載がスタートした1970年当時は、藤子Fの作風とは異なる劇画ブームの真っただ中。時代の変化に、落ち込んだ時期だったという。しかし今までやってきた「生活ギャグ」の集大成を作り、SFも夢も冒険も詰まった作品を手掛けたいという想いから、ギリギリまで粘って登場したのが『ドラえもん』。現代の子どもに響くのかという不安も感じたそうだが、結果はご存じの通り。日本を代表するロングヒットとなる。

企画展示「ドラえもん50周年展」(2020年)の展示出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「体温を感じさせるような人物を創っていきたい」

頼もしい22世紀の猫型ロボットなのに、ピンチに弱くネズミが怖いドラえもん。反対にのび太は勉強もスポーツも苦手な少年だが、絶体絶命の場面では迷いなく困難に挑んでいく。『ドラえもん』の主人公は完全無欠のヒーローではないからこそ、親しみを持てる2人だ。それは、「人間を描く」ことを藤子Fが追求し続けた結果でもある。共感を呼ぶキャラクター作りは、まさに藤子F作品の真骨頂。

Fシアターへの通路出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「ま、のび太は、私自身なんです」

自身に一番近いキャラクターは、のび太という。スポーツが苦手で意思が弱い点が似ているらしいが、年に2、3回「成長しなくては」と猛烈に反省する点はえらい、と藤子Fも語っている。

『のび太の結婚前夜』(『小学6年生』1981年8月号)の1シーン。ヒロインであるしずかちゃんの父親が、のび太のことを「人のしあわせを願い 人の不幸を悲しむことができる人」と評する。そして、「それが一番人間にとって大切なこと」と話すのだ。そんなのび太だからこそ、誕生から50年も愛されているのだろう。

屋上 はらっぱ出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

『ドラえもん』の魅力の1つはなんとってもひみつ道具。「どこでもドア」「タケコプター」「ほん訳こんにゃく」など、四次元ポケットから繰りだされる奇想天外な道具たちにワクワクした思い出は、多くの人にあるはず。藤子Fへのファンレターにも、子どもたちが自分で発明した道具のアイディアがよく送られてきたという。

企画展示「ドラえもん50周年展」の展示 『ドラえもん』「あべこべ惑星」の原画出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「ぼくにとってSFは、S(すこし)F(ふしぎ)」

いわゆるSF作品を多く手掛けた藤子Fだが、共通するのは圧倒的な親しみやすさ。近未来的な科学力が使われていても、子どもたちのありふれた毎日に、ごく自然に溶け込んでいるのだ。SFを「サイエンスフィクション」ではなく、「S(すこし)F(ふしぎ)」と藤子F流に表現したのも面白い。マンガとは「無限の可能性を持った表現手段」と話していた藤子F。日常とSFの融合という、唯一無二の表現を生み出したのだ。

展示室Ⅰ 『ドラえもん』「インスタント旅行カメラ」の原画出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

多趣味の人として知られる藤子Fが好きだったものの一つが、海外旅行。訪れた土地の空気感が自ずと作品にも反映されていった。有名都市だけでなく古代遺跡にも興味を持っていた彼は、ギリシャやメキシコ、エジプトやイースター島も訪問。その小脇にいつも抱えていた相棒が、愛用のカメラだ。戦後で食糧もままならない中学生の頃から撮影に夢中だったという藤子Fだけに、カメラにまつわるひみつ道具が多いのも納得。

藤子 F先生の部屋出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「おもしろいことを求めて貪欲になっていただきたい」

スチールカメラに8ミリカメラ、読書、鉄道、音楽、さらに映画鑑賞、天体観測にアコーディオン演奏……などなど趣味の尽きない藤子F。アウトプットしているだけでは、すぐにアイディアは枯れてしまうもの。マンガ家志望の人への助言として、藤子Fがオススメしたのもマンガだけでなく多くのおもしろいことから貪欲に刺激を受けることだった。実践から紡がれたアドバイスは、説得力抜群。

藤子 F先生の部屋出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

なかでも恐竜への愛は特別。まんがを執筆する愛用の机の上には、娘からのプレゼントを含む恐竜のフィギアがずらりと囲んでいたほど。劇場映画化の第一作目も、もちろん恐竜がテーマの『のび太の恐竜』だった。大好評を得たこの作品が、今に続く映画シリーズの布石となる。

展示室Ⅰ の展示 学年別に描かれたドラえもんの原画出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「子どもを知るには、自分の中の子どもを見つめることです」

学年誌で連載をスタートした『ドラえもん』。幼児誌から小学4年生まで、同時に6誌での連載がはじまり、低学年向けにはコマは大きく台詞もやさしく、高学年向けには恋愛や社会問題まで扱う。学年誌の読者に合わせて、ストーリーを描き分けた。大人になればなるほど素直な感性は薄れていくものだが、藤子Fは自らの子ども時代を振り返ることで、常に子どもの目線から物語を考えていた。

みんなのひろば 「のび太の部屋」出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「漫画は一作一作、初心にかえって苦しんだり悩んだりしながらかくものです」

いかに、すこし不思議な物語にリアリティを与えるか。藤子プロのスタッフにあてた手紙や指示から、ディテールへのこだわりが透けてくる。「書棚はいかにものび太らしく……(略)マンガ主体の不ぞろいな状態に」などの指示は、キャラクターを理解しているからこそ書けるもの。ベテランになりマンネリ化することの危険性を説きつつ、「お互いガンバリましょう」と添えるあたりが心憎い。

先生のにちようび 展示 父としての一面出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「家庭人」として知られていた藤子Fは、子どもとの接し方にもユーモアを発揮。3人の娘さんたちのトーストにはジャムで模様をつけたり、クリスマスギフトのリクエストを受け付けるカラフルな「サンタポスト」を手作りしたりと、画力と愛情が子どもたちの毎日を彩っていた。多くの家族写真から、お茶目なパパの素顔が覗くよう。

先生のにちようび 展示 子どもたちのための本出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

毎晩、藤子Fは絵本の読み聞かせを通して、自身が受けた感動を子どもたちへ受け継いでいく。まんがのテーマにもなった「西遊記」や「アラビアンナイト」は、彼が「バイブル」と呼ぶほど幼少期からのお気に入りで、もちろん娘さんたちの本棚にも仲間入り。子育ても、心から子どもたちと楽しんでいた様子が伝わってくる。

先生のにちようび 展示出典: 川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム

「一生に一度は、読んだ子供達の心にいつまでも残るような傑作を発表したいと思っています」

上記は、正子夫人への手紙に書かれた言葉だ。その言葉を体現するように、半世紀年以上も愛され続ける『ドラえもん』を残した藤子F。温かさとワクワクが詰まった物語は、いつの時代も、いくつになっても、私たちを優しく迎えてくれる原点だ。藤子Fが描いた「夢と冒険の世界」は子どもたちを勇気づけ、そしてかつて子どもだった大人たちに、ずっと寄り添い続けてくれる。

提供: ストーリー

当記事は、2020年8月に取材し制作したものです。

協力:
川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム
藤子プロ

撮影:安島 晋作
執筆・編集:大司 麻紀子
編集:林田 沙織
制作:Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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