浮世絵に見る食事の一幕 江戸から伝わる東京二八蕎麦

江戸から継承した本物の美味しさを今に伝える 「東京二八蕎麦」の魅力に迫ります。

浅草境内人形之図 | 二代国貞(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

17世紀後半の江戸時代に生まれた「浮世絵」。庶民の大衆メディアとして愛された浮世絵を紐解くと、当時の人々の暮らしから、さまざまな食のシーンを見つけることができます。

江戸っ子のそばの嗜みといえば、お酒と肴と〆の蕎麦。蕎麦屋でお酒をつまみの肴と一緒にクイッと引っかけたのは、現代なら仕事の疲れを癒す時間だったのかもしれません。

お半長右衛門桂川連理柵 夜鷹と夜売りそば | 三代豊国(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

江戸でのそばの普及には、店を構えたそば屋だけでなく、「夜そば」売りが大きく貢献していたと言われています。夜そば売りが重宝されたのは、ほかの飲食店が閉まっている夜中に営業していた(夜9時から明け方まで)ということもありますが、もうひとつ、一定の場所に店を構えるのではなく、自由に場所を移動できる形態だったということが挙げられます。夜そば売りが使っていたのは、一人で担いで運ぶことができる「担ぎ屋台」です。

東都名所 高輪廿六夜待遊興之図 | 初代広重(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

この絵は1837年に発表された「高輪廿六夜待遊興之図」。ゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた日本の浮世絵師・歌川広重による最盛期の作品です。

二十六夜待ちというのは、当時の修行とも言える信仰行事。はじめは熱心な信仰心からはじまった行事も、この絵が描かれたころには多くの食べ物屋が出店し、いわば江戸時代のレジャーの場と化していたようです。焼きいか、天ぷら、串団子や寿司など、深夜の月待ちのために並んだ沢山の屋台のなかには、「二八そば」の看板があります。

他の屋台はみな作りのしっかりとした屋台見世ですが、そば屋だけは担ぎ屋台です。ふだんは町中を売り歩いている夜そば売りが、二十六夜の月見客目当てに駆けつけたのでしょう。

東京二八蕎麦「せいろそば」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

江戸から継承した本物のおいしさを今に伝える「東京二八蕎麦」

そんな江戸生まれ、東京育ちの名物といえば、なんといっても「二八そば」。
「そばがき」や「そば餅」として食べられていたそばは、食べやすく、工夫され、現在の麺の形である「そば切り」に変化していきました。そして、そば粉8割、つなぎの小麦粉2割の割合で調理することで、切れにくく、つるっと喉ごしが良く食べやすい麺として、江戸の職人や町人から広まり、商家や武家に出前されるほど人気を博しました。東京にはおよそ300年の歳月が経った現代まで、永く暖簾を守り続けてきたそば専門店が数多く存在します。

江戸時代から庶民の間で親しまれ愛されてきた本物の蕎麦の美味しさを今に伝えようと、2019年にあらためて立ち上がったのは「東京二八蕎麦」。東京都内の加盟店舗数は、2019年12月時点で516店舗です。今回はその中から老舗の2店舗へ訪れ、その魅力を尋ねました。

東京二八蕎麦 つゆ(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

「僕は子供の頃から、おつゆだけは毎日なめさせられてましたね。爺さんが僕にこの店の味を覚えさせるためにやらせてたんですよ」と語るのは、江戸の定番「二八そば」の老舗、芝大門に店を構える更科布屋の7代目店主を務める金子栄一さん。数多くの蕎麦屋が軒を連ねるこの地で、230年もの間 時代に流されない家伝の風味が守り継がれています。

二八そばにおいて「つゆ」は店の顔となる大事な要素の一つです。そばの激戦区東京では、つゆの基礎である醤油、鰹節、砂糖、味醂の四つの素材が、各蕎麦屋ごとにこだわりの比率で調合され、その味わいはまさに百店百味。更科布屋に代々伝わるのは、4種の材料が調和を持って混ざり合い渾然一体となった「お蕎麦の邪魔をしないつゆ」です。濃厚だけれど主張しすぎず、深みのあるこくがほんのりと甘い更科そばと絶妙なバランスで絡み合います。長年の経験から得られる職人の感性を頼りに、時季や気候により原材料の味が変わる中、配合の微調整を重ねて継承されているのが、更科布屋の自慢の味なのです。

更科布屋 金子栄一さん(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

江戸の風情を変わらず残す店内で「江戸の二八そばっていうのは、やっぱり日本人の文化なんですよね」と快活に話す金子さんの言葉には、自然と沁み出る説得力を感じます。そんな金子さんが考える、江戸にそばが栄えた3つの理由を尋ねると、そばを通して当時の時代背景が見えてきます。

まず第一に挙げられるのが、江戸の立地。北関東や信州など近隣にそばの産地があり、新鮮なそば粉が手に入ったということ。二つ目に、江戸の忙しいライフスタイルに合った、いわゆる庶民の ”ファストフード” として広まったということ。そして最後に、そばの豊富な栄養素が挙げられます。将軍のお膝元と言う土地柄と流通システムの発展によって江戸の庶民の食卓に白米が現れ始め、白米を主食とする食生活から「江戸わずらい」と呼ばれる、ビタミンB欠乏症の「脚気」という病気を発症する人が増えていたのだそうです。当時の人々は、ビタミンBを豊富に含むそば食べることで体調が整うことに気づき、無意識に健康食のそばを好むようになったのではないかと、金子さんは話します。

東京二八蕎麦「三色の変わりそば」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

そんな歴史深い二八そばの文化を守り継ぐ職人の間に伝わる「そばの三たて」という成句があります。新鮮なそばを追求してたどり着いた、そばづくりの鉄則ともいえる掟で、挽きたて・打ちたて・茹でたてを、おいしいそばの条件とする言葉です。更科布屋では、この習わしに則って、多い時には1日に3回にわけてそばをつくるそうです。また、「そばの三たて」に加えてさらにもう一つの ”たて” である、「採れたて」にもこだわり、使用するそば粉は全て国産のものでつくります。それも、収穫時期に合わせその産地を、北は北海道から南は九州と変えてゆき、1年を通してほとんどの期間で新そばを味わえるというのですから驚きです。

こちらは、更科布屋の人気メニュー「三色そば」。
手前から、更科、茶そば、梅切りと、華やかなひな餅の三色からインスピレーションを受けた2月限定の一品です。店の名前にもある、そばの実の胚乳中心部分のみでつくられる名物更科そばに、よもぎ、山椒、紫蘇、笹、青柚子などその月の季節の香りが打ち込まれ、旬の味覚が楽しめるそばは、毎月足を運んで食べたい絶品です。

東京二八蕎麦「牡蠣そば」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

更科布屋で提供される、季節の食材を使ったそば

更科布屋では、寒い時期には特においしいあたたかい「そば」のバリエーションも豊富に楽しめます。写真の11月〜2月頃に提供されている、広島産の牡蠣を使った「牡蠣そば」の他、旬の食材を使った様々な季節のそばがあります。

あたたかい牡蠣そばをいただきながら伺う金子さんのお話には、ご先祖様を敬う心が感じられ、心身ともにあたたまるものがありました。最後に、伝統を重んじる金子さんにとって、一番の褒め言葉は何か聞いてみると、常連客の「味、変わらないね」の一言なのだと教えてくれました。

神田尾張屋 田中秀樹さん(右)、田中さん(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

さて、次に訪れたのは、神田に暖簾を下ろす創業1923年の老舗、神田尾張屋です。店頭で3代目店主の田中秀樹さんと息子の勲さんが出迎えてくれました。江戸の嗜み「お酒と肴と〆のそば」を尊む神田尾張屋では、自慢の二八そばの他にも、おいしいお酒や、昔ながらの ”そば屋のつまみ” も幅広く楽しむことができます。

店主の田中さんが、そば職人として常日頃心がけているのが「粋」の精神なのだそう。「日常の行動の中のちょっとしたしぐさで気働きができる、思いやりの心を持てる。そういうのが日本の粋なんではないでしょうかね。」と語る田中さん。その言葉の通り、神田尾張屋を尋ねるとお出迎えの挨拶やあらゆるニーズに対応できる豊富な品揃えなど、いたるとこからおもてなしの心を感じることができます。

東京二八蕎麦「大海老天ぷらそば」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

神田尾張屋の名物「大えびの天ぷらそば」。添加物を一切使わない、自慢の二八そばに、大ぶりのエビ天ぷらを添えていただきます。

東京二八蕎麦「鴨せいろ」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

こちらは季節の「鴨せいろ」。数日寝かせ熟成させたつゆでいただく、鴨のこくと細打ちそばの調和が絶妙な一品です。

そば職人の手(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

神田尾張屋をはじめとする二八そばを提供する多くの店舗では、職人の手によって毎日自家製麺がつくられています。長年そばと触れ合っていくうちに、挽いたそば粉に手を入れると、季節によって感触が違うのが分かるようになるのだとか。

「そばを作るときは12個の目で見ろ、と教わりました」と、両手をパッと開きながら説明する田中さん。国産にこだわり、今期は厳選された北海道と群馬県産のそば粉をブレンドしている神田尾張屋のそばですが、調合の比率はつくるその都度湿度や素材の状態など、あらゆる要素を巧みに感じ取りながら微調整しています。研ぎ澄まされた熟練の感覚で守られるお店の味は、まさに「蕎麦屋のこんくらい」※の極みです。


※こんくらい⇒このくらい(長年の経験で培われた職人としての勘のこと)

手打ちそば「水まわし」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

手打ちそば「こね」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

手打ちそば「きり」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

手打ちそば「仕上がり」(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

長い歴史の中で培われた日本古来の美しい文化や礼儀作法。その中に込められた「相手を敬う心」を基本哲学とする田中さんは、おいしいそばづくりの技術と、粋な計らいを次の世代に伝承できるよう、毎日そばと向き合います。

「昔を残しながらこれからを作っていこうと思います。綺麗事かもしれないですが、やっぱりお客様に美味しかったよって言われた時のあの感覚、それがなかったらやらないですよ、この商売!」と威勢のいい口調で話す田中さんは、正真正銘の江戸っ子です。

せいろそば(2020)一般社団法人日本麺類業団体連合会

江戸の職人たちのこだわりから生まれたそばの黄金比、二八そば。時代は流れ、時は2021年。国際都市、東京で味わえる二八そばは、人々に長く愛され、世界に誇れる日本の伝統文化です。

提供: ストーリー

協力:
芝大門 更科布屋
神田 尾張屋 本店
東京二八蕎麦


写真:上原未嗣
執筆:Manami Sunaga
執筆・編集:林田沙織
制作:Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
もっと見る
関連するテーマ
奥深き日本の食文化を召し上がれ
日本の特徴的な気候や地形、そして先人達の知恵によって「日本食」は出来上がりました。
テーマを見る
Google アプリ