作成: 経済産業省
萩尾望都『ポーの一族』1巻、小学館、1974年 ©︎ 萩尾望都/小学館
1970年代、少女マンガには「革新」が起こったと言われる。 この革新は、1960年代後半デビューの才能ある新人少女マンガ家たちが、たくさんのすばらしい作品を次々に発表したことによってもたらされた。 1960年代までに少女マンガは、恋愛もの、恐怖もの、海外志向などの得意なテーマやモチーフ、華やかな少女マンガらしい絵柄、デザイン性を重視した美しい画面構成を獲得し、63年に創刊した2誌のメジャー週刊誌を擁するなど、ジャンルとしての基礎がすでに確立していた。団塊の世代(1947〜49年のベビーブーム時に生まれた世代)の成長とともに、作家・作品・媒体(雑誌)などの物理的な量が増えたことも重要な要素だが、それをふまえてなお、大きな変化が起こったのがこの時期の少女マンガである。革新の要素を10の作品と作家を軸に紹介する。
里中満智子『あすなろ坂』1巻、講談社、1977年出典: © 里中満智子
スター作家・里中満智子の登場と活躍
里中満智子『あすなろ坂』1巻(講談社/1977年7月15日刊)
マンガの老舗、講談社による少年少女向けの大きなマンガ賞を16歳で受賞した里中満智子。彼女の雑誌『少女フレンド』での華々しいデビューは、同世代のマンガ家を鼓舞した。さらに70年代を通して次々にヒット作を飛ばし、時にはテレビなどのメディアにも出演。その実力と聡明さによるスター作家としての活躍は、少女マンガ家のイメージアップにつながった。『あすなろ坂』(1977〜1980)はつねに愛をテーマにする彼女の大河ドラマの代表作である。
池田理代子『ベルサイユのばら』1巻、集英社、1972年出典: ©池田理代子プロダクション/集英社
『ベルサイユのばら』の社会現象
池田理代子『ベルサイユのばら』1巻(集英社/1972年11月30日)
いまでこそ日本でその名を知らぬ者のないほど有名な、池田理代子の『ベルサイユのばら』。1972〜73年の連載期間全体を通してみた場合、前半は、いまに続く人気を思えばそれほど大きく扱われておらず、後半になるにつれどんどん人気沸騰していった様子がうかがえる。本作は1975年に宝塚歌劇団によって舞台化され大ヒット。ニュースで取り上げられたり、NHKの地上波で放映されるなどの社会現象を起こし、少女マンガの社会的認知に貢献した。
美内すずえ『ガラスの仮面』1巻、白泉社、1976年出典: ©︎ 美内すずえ/白泉社
新人育成システムが育んだ大人気作家、美内すずえ
美内すずえ『ガラスの仮面』1巻(白泉社/1976年4月20日)
雑誌『別冊マーガレット』(集英社)誌上で1966年に始まった「別マまんがスクール」は、もっとも成功した新人マンガ家育成システムのひとつだ。『別マ』はスクール出身の才能ある新人たちに支えられ、ほぼ全部読み切りの誌面でありながら、1972年には少女マンガ誌初の100万部、73年には150万部を突破する。その躍進を支えたのが、1967年デビューのスクール出身者、美内すずえである。彼女はその後白泉社に活躍の場所を移し、大ヒット長編『ガラスの仮面』(1976〜)によって、同社の少女マンガ誌『花とゆめ』の人気を不動のものにした。
山岸凉子『アラベスク』1巻、集英社、1972年出典: ©︎ 山岸凉子
実験場『りぼんコミック』と山岸凉子
山岸凉子『アラベスク』1巻(集英社/1972年4月10日)
『りぼんコミック』(集英社)は、1969年から71年までの短い刊行期間ながら、社会問題を扱った物語や絵柄の模索などがなされる実験場だった。雑誌の統廃合により幼女誌『りぼん』に統合され、『りぼん』には、その後少し大人っぽい作品が掲載されるようになる。69年に『りぼんコミック』でデビューした山岸凉子の『アラベスク』(1971〜75)もそうだ。本作は少女マンガの得意としてきたバレエという題材を一新した。彼女はその後も『天人唐草』(1979)、『日出処の天子』(1980〜85)などの衝撃作、話題作を次々に生み出し続ける。
萩尾望都『ポーの一族』1巻、小学館、1974年出典: ©︎ 萩尾望都/小学館
伝説を生んだ、萩尾望都『ポーの一族』1巻
萩尾望都『ポーの一族』1巻(小学館/1974年6月1日)
1970年は『少女コミック』(小学館)が週刊化し、月刊の『別冊少女コミック』が創刊した年だ。1972年、『ポーの一族』シリーズは、『別冊』で読み切りとしてひっそり掲載された。1974年、小学館の少女マンガレーベル第1弾、フラワーコミックス『ポーの一族』1巻が刊行された。1年で1万部は売るようにと上層部に言われ刊行されたこの単行本は、3日で3万部を売り切った。それまでは通好みの作家というイメージのあった萩尾望都と『少女コミック』が、メジャーな存在へと転換した瞬間だった。萩尾望都こそ、70年代少女マンガ革新の中心的存在である。
一条ゆかり『デザイナー』出典: 1974年 集英社『りぼん』 デザイナー Designer © 一条ゆかり/集英社
かっこいい一条ゆかり、かわいい「おとめチック」
一条ゆかり『デザイナー』前編(集英社/1976年7月10日)
一条ゆかりは、幼女誌『りぼん』で扱うには深刻な内容を、大人っぽく華麗な絵柄で次々に描いた。『デザイナー』(1974)では、少女マンガの代表的な題材「母娘もの」(主人公とその母との情愛や物理的なすれちがい等を描く)を、プライドをかけて戦う母と娘の愛憎劇に仕立て上げた。同様に『ティー・タイム』(1976)、「砂の城」(1977〜81)を描き続けるなか『りぼん』を支える看板作家となった。同時期、かわいいい絵柄で憧れの恋愛を描く、陸奥A子、太刀掛秀子、田渕由美子らの「おとめチック」なマンガとふろくも『りぼん』の人気を支えた。かっこいい一条作品とかわいいおとめチック、読者は両方を1つの雑誌で楽しむことができた。
青池保子『イブの息子たち』1巻、秋田書店、1976年出典: © 青池保子(秋田書店)1976
青池保子、ハチャメチャなコメディでの大変身
青池保子『イブの息子たち』1巻(秋田書店/1976年7月30日)
青池保子は、『りぼん』(集英社)1964年お正月増刊号(発売は63年末)でデビューし、すぐに講談社へ移籍。里中満智子同様、“高校生のお姉さんマンガ家”として講談社の少女マンガ誌に作品を発表していた。1976年、秋田書店の『月刊プリンセス』(1974年創刊)に発表した『イブの息子たち』は、歴史や文学上の偉人が男性と女性に分かれて対立する世界に、現代の3人の美青年が召喚されるハチャメチャコメディ。突然変異を起こしたような怪作で、彼女の出世作となった。同年、いまも続く青池保子および秋田書店の少女マンガの代表作『エロイカより愛をこめて』も始まった。
大島弓子『ジョカへ・・・・・』、小学館、1975年出典: -
自由な場『少女コミック』と大島弓子
大島弓子『ジョカへ・・・・・』(小学館/1975年9月1日)
『少女コミック』(小学館)は、1970年代前半には、他誌では描けないものが描ける自由な場となっていた。大島弓子は元々『マーガレット』(集英社)で、“感動もの”を描く作家という位置づけだった。1972年までには『少女コミック』への参加が増え、1作描くごとに、言葉のセンスや柔らかな絵柄が磨かれ唯一無二の作家となっていった。1973年、彼女の世代の作家としては早い時期に、マンガ家がマンガ家に贈る賞である漫画家協会賞優秀賞を受賞した。『ジョカへ・・・・・』(1973)は読者が毎回の変化を息をのみつつ見守っていた頃の作品。さらに1978年には代表作『綿の国星』シリーズで読者を驚かせることになる。
竹宮惠子『風と木の詩』1巻、小学館、1977年出典: ©︎ 竹宮惠子
「少年愛もの」の金字塔『風と木の詩』
竹宮惠子『風と木の詩』1巻(小学館/1977年5月20日)
1970年代少女マンガの「革新」の核に、新ジャンル「少年愛もの」の登場がある。男性同士の恋愛ファンタジーが展開する一大ジャンル、現在のBL(ボーイズ・ラブ)の源流である。当時何か新しいことをしようとしていた昭和24年(1949年)前後生まれの少女マンガ家たちを「24年組」と呼ぶことがある。竹宮惠子、萩尾望都が代表的な存在であり、ほかにもメンバーと見なされる作家の多くが少年愛ものとそのバリエーションにチャレンジしている。少年愛ものの代表作としてよく知られるのが、萩尾望都の『ポーの一族』(1972〜)、『トーマの心臓』(1974)。決定版がこの竹宮惠子の性愛表現も含む作品『風と木の詩』(1976〜84)である。本作の初回は早い時期に完成に近い状態で描かれていたが、そのセンセーショナルさゆえに、発表まで7年の歳月を要した。
木原敏江『摩利と新吾』1巻、白泉社、1979年出典: ©︎ 木原敏江
木原敏江、深い教養と“少女好み”の全肯定
木原敏江『摩利と新吾』1巻(白泉社/1979年8月20日)
木原敏江は、「別マまんがスクール」からデビューし、1970 年代半ばまで『マーガレット』(集英社)で活躍。1976 年創刊の『LaLa』 (白泉社)に創刊号から参加、代表作『摩利と新吾』(1977〜84)シリーズで同誌初期を支えた。上記作品のあいまに『少女コミック』(小学館)で発表した読み切り『大江山花伝』(1978)は、木原のもうひとつの代表作『夢の碑』(1984〜97)シリーズにつなが った。木原の創作を支えるのは、花、星、涙など“少女好み”へのゆるぎない肯定と、洋の東⻄を問わない古典文学、歴史等 への深い教養が生み出す、詩的な言葉と画面やページの構成の巧みさである。
文:ヤマダトモコ
編集:福島夏子+宮﨑由佳(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作(最終入稿日 2020/8/10)