“世界一弱いヒーロー” 誕生の秘密 

子どもたちに勇気を与えてきたアンパンマンに会いに、2つのミュージアムを巡ろう。

「手のひらを太陽に」出典: ©やなせたかし

1996年7月21日。高知県の香北町にとって、この日は忘れられない1日になった。「やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム」のオープン日、入館を待つ車が2kmを超える行列を成したのだ。

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

それはひとつの事件だった。人口約5000人の田舎町に、日本中からこれだけの人が押しかけるとは、ほとんどの人は想像していなかったのだから。年間10万人という当初の来場者目標は、わずか49日で達成。アンパンマンがいかに国民的キャラクターなのか、高知の人々は嬉しい驚きとともに思い知ることになった。

やなせたかし出典: やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

高知出身の漫画家・やなせたかし

アンパンマンの作者であるやなせたかしは、1919年生まれの漫画家であり絵本作家。さらには詩人であり、デザイナーにして編集者。94歳で亡くなるまで数多くの仕事を残した。

物部川出典: 高知県

やなせが育ったのは、高知県香美市香北町。物部川が流れ山々に囲まれたのどかな田舎町で、現在はアンパンマンミュージアムのある地だ。やなせは同じ高知県出身の漫画家・横山隆一に憧れ東京で漫画家を志すがヒット作に恵まれず、デザイナーや放送作家、舞台の美術監督にインタビュアーなど様々な仕事をこなしながら、創作を続けた。

「ボオ氏」出典: © やなせたかし

当時のやなせの作風は、横山隆一などに代表される「ナンセンス漫画」の流れをくむもの。手塚治虫らによるストーリー漫画が人気を集めていた当時、いわば日陰のジャンル。ヒット作に恵まれない中でも、やなせは漫画を描き続けた。当時のやなせの代表作のひとつが顔のない主人公の4コマ漫画「ボオ氏」。ボオとは匿名性を表す漢字の“某”の意味。無名の自分自身を反映したアイロニーを感じさせる。

「アンパンマン」(『十二の真珠』より)出典: © やなせたかし

アンパンマンが国民的ヒーローになるまで

やなせの代表作であるアンパンマン。その原点は、1969年にやなせが描いた短編童話に遡る。初代アンパンマンは今と違って普通の人間のおじさんの姿。貧困から飢えに苦しむ子どもにあんパンを配る、日陰のヒーローだったと聞けば驚く人は多いはず。その後現在に近い姿で絵本として出版され、幼稚園などを中心に密かな人気を集めるように。1988年にテレビアニメの放送がスタートするとアンパンマンは日本中で爆発的な人気に。なかなか代表作が出なかったやなせにとって、69歳で迎えた大ブレイクだった。

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

“世界一弱いヒーロー

やなせは作品を通して、一貫して弱い者の味方であろうとした。その根底には、60代までヒット作に恵まれなかった自身の経験とともに、壮絶な戦争体験の影響も窺える。やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団の事務局長を務める仙波美由記さんはこう語る。

財団事務局長の仙波さん出典: やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

「やなせは第二次世界大戦で弟をなくし、自身も徴兵され、出征した中国で壮絶な飢えに苦しみました。また、当時日本では正義のための戦いと教えられていたのに戦後は真逆になってしまった、とも語っています。日本の敗戦によって、それまでの正義が覆る体験をしたやなせは、“逆転しない正義”とは何かを考えました。そしてたどり着いた答えが、“自らを犠牲にしても目の前の飢えた人にひとかけらのパンを与えること”でした。それこそが逆転しない正義であり、誰にでも発揮できる正義だとやなせは考えました」

「アンパンマンバルーン」出典: © やなせたかし

やなせ本人が“世界一弱いヒーロー”と、語ったように、アンパンマンは弱点だらけ。顔が濡れれば力が出ず、あんパンを分け与えて顔が欠ければ弱ってしまう。そこには、“本当の正義は傷つくもの”というやなせ自身の思いが込められている。選ばれし者の英雄譚ではなく、お腹を空かせた人を自己犠牲で救う愛と勇気の物語。異色のヒーロー像はこうして誕生したのだった。

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

山のふもとのやなせたかしワールド

アンパンマンミュージアムを訪れる中には、カラフルで可愛らしいアンパンマンの世界を予想する人も多いはず。しかし、その想像は鮮やかに裏切られることになる。建築はコンクリートとガラスによる静謐なたたずまい。そこには、「自然の中にあるからこそ、あえてシンプルでセンスの良いものがいいだろう」という、デザイナーの一面も持つやなせならではの視点が反映されている。

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

通路にはユーモラスで詩的な言葉が点在し、床や壁など至るところにキャラクターが顔を覗かせる。決まった順路は定められておらず、探検を楽しみながらアンパンマンの世界を体感できるような構造になっている。

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

アンパンマンミュージアム出典: やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

アンパンマンミュージアム出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

雑誌『詩とメルヘン』創刊号(サンリオ刊)出典: © やなせたかし

ローブローからハイブローへ

アンパンマンと並ぶやなせの代表的な仕事のひとつが「詩とメルヘン」。読者からの投稿が主体のイラストレーションと詩の雑誌で、創刊から30年間すべての表紙絵をやなせ自身が描き、編集も自身で行った。その高いクオリティと美しく叙情的な世界観は、2003年に休刊した後も多くのファンの心を捉えている。

詩とメルヘン絵本館出典: やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団

アンパンマンミュージアムの裏にたたずむ、アンパンマン以外の作品と絵本を中心にしたイラストレーションの美術館「詩とメルヘン絵本館」。入り口はアンパンマンミュージアムでも、その中で何人か絵の好きな人が出てきたとすれば、その子どもがより深く絵を鑑賞できるように、というやなせの思いから生まれたミュージアムだ。記念館の開館直後のインタビューで、やなせは次のように語っている。

詩とメルヘン絵本館出典: ©︎やなせたかし

「アンパンマンミュージアムはあくまでも子どもがメインなのですが、その中で何人か絵の好きな人が出てきたとすれば、その子どもが今度はファインアートにも興味を持つはずです。入り口はあくまでも低く、奥のほうはハイブローの世界につながる」。

高知を走る路面電車出典: ©やなせたかし

高知中を彩るやなせキャラクター

高知県では、アンパンマンミュージアム以外にも、いたるところでやなせたかしの世界に触れられる。やなせたかしキャラクターは、今もなお高知の人々に愛されているのだ。

アンパンマン列車出典: © やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

アンパンマン列車出典: © やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

アンパンマン列車

アンパンマンの仲間たちが描かれた列車。2000年に岡山県と高知県を結ぶ特急列車として誕生し、現在も四国各地で運行している。

後免駅のキャラクター出典: © やなせたかし © やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

ごめん・なはり線出典: ©やなせたかし

高知のローカルキャラクター

やなせはキャラクターデザインでも高知県に大きく貢献をしている。例えば、高知県東部を走る、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線には、全20の駅すべてにオリジナルのキャラクターをデザインした。他にも、地域の特産である桃やぎんなんをモチーフにした13体の香美市イメージキャラクター、高知県防災キャラクターなど、その数は高知県だけでゆうに50以上。ほとんどのデザインを無償で行っていたというから驚きだ。財団事務局長の仙波さんは、やなせと高知の繋がりについてこう語る。

「やなせは5歳で父と死別、母の再婚後は伯父夫婦に育てられました。自身も生涯子どもに恵まれず、親子の愛に飢えていました。老齢にさしかかって高知で多くの仕事をしたのは、いつか帰るべき場所として高知への思いを強め、故郷の人々のために仕事をしたいという思いもあったのではないでしょうか」

やなせたかし朴ノ木公園出典: ©やなせたかし ©やなせたかし/フレーベル館・TMS・NTV

やなせが幼少期を過ごした実父の実家の跡地にある「やなせたかし朴ノ木(ほおのき)公園」。やなせの遺骨が収められた墓の石碑にはこんな言葉が記されている。


一本の朴ノ木にぼくはなりたい 
季節には 
はにかみがちに 
白い花を咲かせて 
風の中でゆれていたい


アンパンマンは日本中の子どもに愛され続ける国民的キャラクターに成長し、やなせはその他にも数えきれないほどの物語とキャラクターを生み出した。それらの作品は生まれ故郷の高知に息づき、今も人々の心を楽しませている。

提供: ストーリー


当記事は、2020年6月に取材し制作したものです。
協力:
公益財団法人やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団
香美市立図書館香北分館
四国旅客鉄道株式会社
土佐くろしお鉄道株式会社

撮影:七咲友梨
編集・執筆:山若マサヤ
編集:林田 沙織
制作:Skyrocket株式会社

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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