瀬戸焼

愛知県瀬戸市、千年余の歴史と伝統を有する瀬戸焼

作成: 立命館大学アート・リサーチセンター

立命館大学アート・リサーチセンター 協力:京都女子大学

瀬戸焼 《窯垣の小径》立命館大学アート・リサーチセンター

「せともの」のまち瀬戸

愛知県瀬戸市は、名古屋市の東約20km、ほぼ日本の中心に位置します。日本では陶磁器のことを通称として「せともの」と言っており、この「せともの」の「せと」とは瀬戸のことを指しています。日本でつくられているやきものの代表が瀬戸焼だからこそ「せともの」という言葉が生まれて広まったのです。

瀬戸焼 《陶土・珪砂採掘場》立命館大学アート・リサーチセンター

瀬戸焼を支えた良質な粘土

瀬戸では大変良質な粘土である「木節(きぶし)粘土」、「蛙目(がいろめ)粘土」が産出されます。この二種類の粘土の特性は、耐火度が高く、形がつくりやすいというだけでなく、粘土中には鉄分がほとんど含まれていないことから、白いやきものをつくり出すことが可能な粘土です。そのため、白い素地に絵や釉薬を施したりして、多種多様なやきものをつくり出すことができました。

瀬戸焼 《灰釉縄手付瓶》 重要有形民俗文化財(11世紀中期) - 作者: 作者不詳(広久手F窯出土)出典: 瀬戸蔵ミュージアム

千年余の歴史を有する瀬戸焼

今から約千年前の平安時代後期に瀬戸でやきものづくりが始まりました。それ以降、国内情勢や世界情勢の変化に対応し、常に時代の要求する製品を生み出しました。その生産は途切れることなく連綿と現在まで続いています。このようなやきもの産地は世界的に見ても瀬戸だけといえます。

瀬戸焼 《鉄釉仏花瓶》(14世紀前期) - 作者: 作者不詳(伝百目窯出土)出典: 瀬戸蔵ミュージアム

多彩な釉薬

鎌倉時代から室町時代にかけて(12世紀末~15世紀後期)生産された、中国陶磁をモデルとした中世唯一の施釉陶器である「古瀬戸(こせと)」の登場によって、瀬戸は日本における陶器生産の中心地となっていきました。これ以降釉薬を駆使した様々なやきものが生み出されていき、瀬戸焼の特徴の一つとなっていきます。

瀬戸焼 《鉄釉大海茶入》(14世紀中~後期)出典: 瀬戸蔵ミュージアム

茶文化と瀬戸焼

14世紀頃の鎌倉時代から天目茶碗や茶入などの茶道具がつくられ始め、茶の湯の流行とともに様々な茶陶生産も始まります。16世紀後半には美濃地域にも進出し、茶陶文化が花開きます。この時期に多様なデザイン・装飾性の高い日本独自のスタイルのやきもの「桃山陶」が確立します。

瀬戸焼 《馬の目皿》 重要有形民俗文化財(18世紀後期~19世紀前期)出典: 瀬戸蔵ミュージアム

本業焼

「本業」という言葉は、瀬戸で19世紀初頭に始まった磁器生産を「新製」あるいは「新製焼」と呼んだことに対し、従来の陶器生産を「瀬戸焼の本来の仕事」として呼び分けた呼称ですが、加藤四郎左衛門景正を陶祖と仰ぐ伝統の仕事としてプライドをもって呼んだものです。磁器生産開始前後の「本業」は江戸時代を通して最も華やかな時期であり、馬の目皿・石皿・行燈皿・麦藁手などの新たなスタイルのヒット商品を生み出しました。

瀬戸焼 《染付山水図水指》(19世紀前期) - 作者: 伝 加藤民吉(1772~1824)出典: 瀬戸蔵ミュージアム蔵

瀬戸染付

19世紀の初頭、瀬戸は磁器の製造に成功しました。その磁器生産の中心的な装飾は染付で、絵師の手による水墨画と見まがうような絵画的な描写が特徴となっています。日本のやきもの産地において、陶器と磁器というやきものを代表する二種類を長年にわたってつくり続けている産地は世界的にも稀有な存在です。

瀬戸焼 《染付花鳥図獅子鈕蓋付大飾壷》 瀬戸市指定文化財 (1876) - 作者: 初代川本桝吉出典: 瀬戸蔵ミュージアム

世界で評価された瀬戸焼

明治時代になると瀬戸のやきものづくりは海外へと指向します。当時欧米で開催された万国博覧会への積極的な出品などを足掛かりに、花鳥図を中心とした繊細な絵付の染付作品が欧米に受け入れられていき、後に湧き起こるアール・ヌーヴォーやアール・デコに影響を与えていきます。

瀬戸焼 《石炭窯の煙突が林立する瀬戸》(1935年頃) - 作者: 写真:フォトスタジオ伊里立命館大学アート・リサーチセンター

陶都瀬戸

20世紀に入ると、産業の近代化が推し進められていきます。そしてその生産品も、それまでの飲食器や装飾具にとどまらず、衛生陶器、碍子、理化学用品、建築用陶器などが生産されていくようになります。瀬戸でつくることが出来ないやきものは無いと言われるほど、様々なやきものがつくり出されていきました。

瀬戸焼 《人で賑わう深川神社周辺》(1935年頃) - 作者: 写真:フォトスタジオ伊里立命館大学アート・リサーチセンター

「尾張の小江戸」瀬戸

やきものづくりに携わる職人やその関係する業種の職人などが数多く暮らしていた瀬戸。そのため瀬戸は「尾張の小江戸」とも称されていました。職人のまちならではの独特の生活や文化が形成されていきました。

瀬戸焼 《パーティーの前》(1960) - 作者: 丸山陶器株式会社出典: 瀬戸蔵ミュージアム

セトノベルティ

大正時代、第一次世界大戦によりドイツからの磁器製人形の供給が途絶えたアメリカの注文を受ける形で、瀬戸では陶磁器製の人形・置物の生産・輸出が始まりました。特に第二次世界大戦後は隆盛を極め、瀬戸焼の主力商品となりました。これらはセトノベルティと呼ばれ、その造形や絵付の精巧さなどは欧米でも高い評価を得ました。

瀬戸焼 《窯めぐり》立命館大学アート・リサーチセンター

現在の瀬戸

千年余の歴史と伝統を有する瀬戸焼は、現在でも数多くの窯屋が軒を連ね、様々なやきものをつくり出しています。伝統と現代が融合したまちの魅力は、現在でも日本の陶都としてつながっています。

提供: ストーリー

資料提供&協力:瀬戸蔵ミュージアム、フォトスタジオ伊里、愛知県珪砂鉱業協同組合

監修&テキスト: 服部文孝(瀬戸市美術館)

編集:京都女子大学 生活デザイン研究所 清水彩野、楠木千珠(京都女子大学家政学部生活造形学科)

英語サイト翻訳: Meghen Jones

協力: 佐藤一信 (愛知県陶磁美術館

英語サイト監修: Melissa M. Rinne (京都国立博物館

プロジェクト・ディレクター: 前﨑信也 (京都女子大学 准教授

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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