石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
石巻にあるマンガミュージアム
東北最大の都市・仙台から電車でおよそ1時間半。
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JR石巻駅から、市街を縦に貫く旧北上川を目指すと、その中洲に、まるで地上に降り立った宇宙船のようなユニークな外観の建物が現れる。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
「仮面ライダー」や「サイボーグ009」などで知られるマンガ家、故・石ノ森章太郎の構想のもとに生まれた日本最大級の体験型マンガミュージアム「石ノ森萬画館」だ。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
石ノ森作品を体験できる常設展や、幅広いマンガ家を紹介する企画展、充実した資料を閲覧できるマンガ・アニメ工房など、マンガ文化を楽しく知ることのできる同館だが、またべつの重要な顔がある。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
2011年3月11日に発生した東日本大震災で、全国最大の被害を受けた石巻市における、「復興のシンボル」としての顔だ。
お話を聞いた石ノ森萬画館スタッフの大森盛太郎さん出典: 撮影=布田直志
震災当日、津波に襲われた館内にいた唯一のスタッフであり、施設再開に向けても中心的な役割を担った運営会社「街づくりまんぼう」の大森盛太郎さんに、被災地における萬画館の役割について聞いた。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
「マンガの王様」石ノ森章太郎
石ノ森章太郎(1938~1998)は、「マンガの王様」と呼ばれた。その理由は、彼の生み出した作品の、他の追随を許さない圧倒的な多様性にある。SFマンガの金字塔『サイボーグ009』、不思議な少女が主人公のコメディ『さるとびエッちゃん』、かわいいロボットもの『がんばれ!!ロボコン』、現在も人気シリーズとして特撮テレビドラマが放映されている『仮面ライダー』、さらには歴史ものから青年向け作品まで、およそ1人の人間による作品とは思えないほど、その作風は幅広い。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
2008年には、「1人の著者が描いたコミックの出版作品数(計770タイトル・500巻)が世界で最も多い」として、その全集がギネス世界記録に認定された。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
マンガによる街おこし
石ノ森はこうした万物を表現できるマンガの可能性を示すため、「とりとめのない」を意味する従来の「漫」に変わり、極めて多いことを指す「萬(よろず)」を用いた「萬画」という言葉を主張した。2001年に開館した萬画館は、そんな石ノ森のマンガに対する思いを体現しながら、マンガによる街おこしを目指して設立された施設だ。石巻は、現在の宮城県登米市出身の石ノ森にとって、映画を見るために頻繁に訪れた第二の故郷だった。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
建物のエントランスの天井には、1時間に1度動くからくり時計。竜の背中に石ノ森の人気キャラクターが勢揃いしたデザインで、稼働しているとき以外は2階の常設展の展示物になっている。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
取材時にも近所の親子連れが時計を見にきていた。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
1階には、多彩なアイテムを集めたミュージアムショップや、石ノ森が手塚治虫、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Ⓐ、赤塚不二夫らと過ごした伝説的なアパート「トキワ荘」の模型や資料、そして石ノ森の年表が並ぶ。2階へは、建物を大きくぐるりと回遊するスロープを抜けて向かう。
お話を聞いた石ノ森萬画館スタッフの大森盛太郎さん出典: 撮影=布田直志
2階の企画展示室では、年に2~3回ほど展示を入れ替えている。取材時に開催されていたのは、1989年から続く森川ジョージの人気ボクシングマンガ『はじめの一歩』の原画展。生原稿や単行本表紙のためのカラーイラストなど、見応えがある。「マンガのいろんな側面を見せたいという思いで企画を立てている」と大森さん。「人気作品を目当てに来館された方が、それを機に、石ノ森作品や石巻の街の魅力を知ってくれたら嬉しい」。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
石ノ森ワールドを体感する常設展
建物の中をぐるりと回るように設計された常設展。それぞれ特殊な能力を持つ「サイボーグ009」のキャラクター像、「仮面ライダー」の全シリーズのマスク、「ロボコン」の生原稿など貴重な展示物のほか、仮面ライダーに変身できるものや、ライダーのバイク「サイクロン号」に乗ることがきるものなど、体験型アトラクションも多い。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
一周すると、石ノ森の作風の幅広さにあらためて驚かされるはずだ。「SFから日本史マンガまで、また、実写とのメディアミックスまで、マンガを起点にあらゆるものを巻き込む石ノ森の才能は、あの手塚治虫も嫉妬したほどでした」と大森さんは話す。
石ノ森萬画館のエントランス。東日本大震災での津波遡上高が表示されている出典: 撮影=布田直志
3.11、震災発生
現在では、本来の姿を取り戻した萬画館だが、2011年3月11日の東日本大震災では津波の被害を受けた。
地震発生後、ほかのスタッフが帰宅した後ひとりで館に残った大森さんは、1階の窓から川の様子を見ていた。
石ノ森萬画館。津波被害の痕跡が残る柱出典: 撮影=布田直志
そこにガラスを突き破り、水が入ってきた。壁にある津波の到達点を示す印や、柱の傷跡がその激しさを物語る。
津波に飲み込まれる中洲地域 2011年3月11日出典: © 街づくりまんぼう
ミュージアムショップの商品がことごとく流されるのを見ながら、大森さんはスロープで2階に上がった。緊急時用の扉を閉めるなど、「意外にも冷静に生き残ろうとしていた」と当時を振り返る。
津波により甚大な被害を受けた石ノ森萬画館出典: © 街づくりまんぼう
避難者たちとマンガ
大森さんは、建物の周囲に流されてきた人や避難してきた人たちに声をかけ、館の3階に避難させた。
津波により甚大な被害を受けた石ノ森萬画館出典: © 街づくりまんぼう
電気・ガス・水道が止まるなか、約40人での避難生活は5日間にも及んだ。そのとき、不幸中の幸いだったことがふたつある。
津波により甚大な被害を受けた石ノ森萬画館出典: © 街づくりまんぼう
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
ひとつは、館の飲食スペースが川を眺めることのできる三階にあり、食糧が無事だったこと。もうひとつは、雑魚寝場所に使った3階の図書コーナーに大量のマンガやアニメがあったこと。そうした作品の存在は、不安な避難者の心にわずかばかりの余裕を生み出したという。身近で多くの人に開かれたマンガというメディアの良さを感じさせてくれるエピソードだ。
津波により甚大な被害を受けた石ノ森萬画館出典: © 街づくりまんぼう
館内清掃をするスタッフ 2011年3月27日出典: © 街づくりまんぼう
震災後、初のイベント「春のマンガッタン祭り」 2011年5月5日出典: © 街づくりまんぼう
近隣住民の心を温めたイベント
萬画館の再開に向けた大きな一歩が、2011年5月5日のイベントの開催だ。震災直後のこの催しに対しては、当初、「時期尚早」と反対意見も多かった。しかし「こういう時期だからこそ」とイベントを決行。すると当日には4000人ほどの人々が集まり、いろんな人から握手を求められた。津波の被害を逃れて空に上げることができた鯉のぼりに、手を合わせて拝む高齢者の姿もあった。「萬画館だからこそできることがあると感じた」と大森さん。館が「復興のシンボル」になった瞬間かもしれない。
石ノ森萬画館出典: 撮影=布田直志
石巻駅出典: 撮影=布田直志
石巻マンガロード
石巻には、駅から萬画館にかけてキャラクター像が並ぶ「石巻マンガロード」がある。その像の多くが無事だったことも、地元の人を勇気付けた。
石巻マンガロード出典: 撮影=布田直志
震災後、街との連携を強くするために、萬画館では街の片付けの手伝いや、まちなかの店舗での複製原画展なども実施。石巻を励ますため県外から訪れた声優や歌手らとの交流も広がっていった。
石巻マンガロード出典: 撮影=布田直志
「ただのハコモノではなく、そこを起点にいかに地域に元気を還元していくかが重要」と大森さん。こうした動きが積み重なり、萬画館は2012年11月29日 、約1年8ヶ月ぶりに再開を果たした。
石巻マンガロード出典: 撮影=布田直志
震災から立ち上がり歩いてきた萬画館を、現在は新型コロナウイルスの影響が襲っている。施設は3月から5月末まで休館を余儀なくされ、客足は4割ほど減っているという(2020年7月取材)。しかし大森さんは、震災後もコロナ禍でも、「安心して石巻に来てもらうこと、マンガの世界を楽しんでもらうことという課題は変わらない」と話す。むしろ、このコロナ危機のなかで、あらためて「人には衣食住だけではなく、ふっと気持ちを軽くしてくれる心のよりどころが必要」と感じたと言う。「そんな力を持っているマンガってすごいんです」。
石ノ森萬画館の外観出典: 撮影=布田直志
街とともに歩んでいく
来年は震災から10年目。萬画館の近くにも新しい公園や道が完成する予定があるなど、街の風景は変わり続けている。そうしたなかで、「今後はよりソフトの力が試される」と大森さん。海外への発信にも力を入れたいと語り、海外の日本マンガファンには、「様々な作品のルーツを掘っていくと、どこかで石ノ森の作品に当たるはず。そんな日本マンガの原点を体験しに来てください」とのメッセージをくれた。マンガの力を使って石巻の復興を支えたきた萬画館は、今後も街にとって重要な存在であり続けるはずだ。
協力:石ノ森萬画館
聞き手・文:杉原環樹
撮影:布田直志
編集:福島夏子(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作