作成: 経済産業省
織田小星(作)、東風人(画)『お伽 正チャンの冒険 巻の一』、朝日新聞社、1924(大正13)年
織田小星(作)、東風人(画)『お伽 正チャンの冒険 巻の一』、朝日新聞社、1924(大正13)年(1924)出典: 朝日新聞社
大正生まれの「正チャン」
読者をマンガに引き付ける重要な要素の一つがキャラクターだ。
キャラクターは、マンガの物語の中を生き、物語を魅力的なものにするだけではない。もとの物語を離れ、様々なキャラクターグッズとして、あるいは企業や商品のイメージキャラクターとして、独り歩きするようになっている。日本のマンガに限らず、キャラクターは、現代の世界のマンガ、アニメ、ゲームなどのポップカルチャーが、巨大なビジネスとして発展する上での原動力にもなっているのである。
マンガの中のキャラクターが、もとの物語を離れて独り歩きするようになったのはいつのことか。日本では、それは、大正時代の終わりごろ、1920年代の半ば、大手の新聞紙の発行部数が100万部を超えるようになったころのことであったと考えられる。
麻生豊『ノンキナトウサン』1924(大正13)年4月15日付『報知新聞』夕刊より(1924)出典: 読売新聞社
欧米の大衆紙のそれにならって、日本の新聞にも、毎日同じキャラクターたちが登場する4コママンガが連載されるようになる。そうして生まれた人気作、「正チャンの冒険」(織田小星/作、東風人/画)の主人公「正チャン」や、「ノンキナトウサン」(麻生豊)の「父さん」が様々な広告に(勝手に)使われたり、掲載紙とは関係のない出版社から、彼らの登場する別の物語が出版されたりした。
織田小星(作)、東風人(画)第1回『正チャンの冒険』。1923(大正12)年1月25日付『アサヒグラフ』創刊号の「コドモページ」に登場した(1923)出典: 朝日新聞社
「正チャンの冒険」は、朝日新聞社が創刊した日刊のグラフ紙『アサヒグラフ』で連載が始まったが、関東大震災による朝日新聞社の工場の被災で同紙が発行できなくなったため、『東京朝日新聞』で(のちに『大阪朝日新聞』でも)連載されるようになった。
1923(大正12)年10月18日付『朝日新聞』に掲載された告知(1923)出典: 朝日新聞社
ファンタジーと現実世界をつなぐ
『東京朝日新聞』に場を移しての連載再開にあたって、再開の前日、その告知文が掲載された。そこでは、一時休刊となった『アサヒグラフ』で活躍していた正チャンが「この大震災に際し、驚くべき冒険的活動をしていた」と述べられ、翌日からその「冒険的活動」の物語が連載された。正チャンが、読者の生きる現実とは別のファンタジー世界の住人ではなく、読者と同じ現実の世界で関東大震災を経験したという設定になっているのである。
織田小星(作)、東風人(画)『正チャンの冒険』、1923(大正12)年10月21日付『朝日新聞』より(1923)出典: 朝日新聞社
織田小星(作)、東風人(画)『正チャンの冒険』、1924(大正13)年1月1日付『朝日新聞』より(1924)出典: 朝日新聞社
等身大のキャラ設定
「正チャンの冒険」は、その作品のそばに「メモ」という欄があった。そこには、「正チャンが、お正月の雑煮を食べた後また冒険に出た」といった、作品内で語られていない正チャンの生活にまつわる記者からの報告や、読者から正チャンに宛てられた手紙が掲載されていた。
こうした仕掛けや、関東大震災を経験したといった設定は、正チャンがマンガの世界の中に閉じ込められた「登場人物」ではなく、読者が生きるのと同じこの世界に「いる」という実在感をつくり出す。
織田小星(作)、東風人(画)『正チャンの冒険』、1923(大正12)年12月13日付『朝日新聞』より(1923)出典: 朝日新聞社
「メモ」欄に投稿された読者からの手紙には、正チャンに自分の住む町に来てほしいとか、普段の正チャンの暮らしに関する質問などが多かったが、中には、正チャンが床屋に行った時の会話の再現といった、今日でいう「二次創作」の萌芽のようなものもあった。
正チャンが登場する様々な創作物出典: 撮影=ただ(ゆかい)
拡散する「正チャン」
「正チャンの冒険」は、毎日4コマでオチがつくのではなく、数回から十数回にわたって、ひとつの冒険の物語が続き、それが終わるとまた別の冒険のエピソードが始まる、という方式だった。このことは、正チャンがこの世界のどこかに住んでいるという設定と相まって、読者に、正チャンの「別の冒険」を次々に期待させ、想像させることになる。別の無名の作家たちによって、様々な出版社から生み出された「正チャン」は、その期待に応えるものだった。
正チャンを起用した広告。1924(大正13)年1月1日付『朝日新聞』より(1924)出典: 朝日新聞社
作品から独り歩きし始めたマンガやアニメのキャラクターを利用した権利ビジネスは、まずアメリカで盛んになり、戦後は日本でも盛んになった。
正チャンを起用した広告。1925(大正14)年10月4日付『朝日新聞』より(1925)出典: 朝日新聞社
当時、絵や文章の転載ではなく、キャラクターだけを抜き出して別の物語を描くことが、著作権侵害にあたるといった考え方はなかったようだ。キャラクターを商標登録するといった発想もまだなかった。そのため、様々な広告に使われた正チャンも、商業的な二次創作も、もとの著作者に直接利益をもたらすものではなかった。
織田小星(作)、東風人(画)『お伽 正チャンの冒険 巻の一』(1924)出典: 朝日新聞社
キャラクター誕生の時代
おとものリスを連れて、様々な冒険をする正チャンは、その洗練されたキャラクターデザインや、画面の印象から、ベルギーの「タンタンの冒険」(エルジェ)を思い起こす人も多いだろう。だが、「正チャン」の連載開始は「タンタンの冒険」の連載開始(1929年)より早い。20世紀初頭の世界では、同時多発的に、こうした物語から自立する実在感を持ったキャラクターたちが生まれるようになっていたと言えるだろう。
文:宮本大人(明治大学)
編集:菊地七海、福島夏子+宮﨑由佳(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作