石ノ森章太郎『二級天使』出典: © 石森プロ
実験精神にあふれたデビュー作
「どんなタイプのマンガでも描けるようになりたかった」という石ノ森章太郎は、中学生の頃から手塚治虫や馬場のぼるのマンガだけでなく、樺島勝一のペン画までも模写したという。17歳で描いた実質的なデビュー作の『二級天使』(『漫画少年』、学童社、1955)では、一本のマンガで異質な絵柄を組み合わせるなど、実験精神にあふれていた。のちに話題を呼ぶ『ジュン』を彷彿とさせるコマ割りや構図も含め、『二級天使』は、まぎれもなく萬画家・石ノ森の原点だ。
石ノ森章太郎『ボンボン』第1話「引っ越してくる」扉出典: © 石森プロ
先鋭ギャグマンガの描き手としての石ノ森章太郎
「質は量によって保証される」。これは石ノ森が生前、遠縁の小説家・今野敏に語った言葉だ。ときには月産600枚を超した作品のなかには、多数のギャグマンガもあった。ドライで残酷なスラップスティック・ギャグマンガの『テレビ小僧』(『日の丸』、集英社、1959)、それと対照的にノホホンとした『ボンボン』(『まんが王』、秋田書店、1965)は、『となりのたまげ太くん』(『少年マガジン』、講談社、1965)『おかしなおかしなおかしなあの子(さるとびエッちゃん)』(『マーガレット』、集英社、1964)とともにSFで味つけされていて、小学生には少し難しいギャグマンガでもあった。
石ノ森章太郎『サイボーグ009』「地下帝国ヨミ編」ラストシーン出典: © 石森プロ
SFの伝道師でもあった石ノ森章太郎
「サイボーグ」「アンドロイド」「ミュータント」ーーこんなSF用語を、石ノ森マンガで学んだ子どもたちがいた。1960年代中盤のことだ。石ノ森のSFマンガはハイセンスで、小学生の支持は得にくかったが、これらの作品がコミックスになったとき、中学生以上のティーンに熱い支持を受けた。とくに『サイボーグ009』は、いちどは完結したものの少女ファンの熱い支持を受け連載再開、その後も様々な媒体で何度も掲載されたが、ついには作者の死去により未完の大作となった。
石ノ森章太郎『少年のためのマンガ家入門』出典: © 石森プロ
マンガ少年&少女のバイブル
『少年のためのマンガ家入門』(秋田書店、1965)は、のちに多くのマンガ家を育てた教科書のような本だ。第1部はマンガ同人誌づくりや高校生で手塚治虫のアシスタントに出かけた体験などを綴った半自叙伝、第2部は自作の少女マンガ『龍神沼』(『少女クラブ』、講談社、1961)などをテキストにしたマンガ技法の解説になっていた。最寄りの交番に石ノ森の自宅地図を預けるほどに、全国から読者が殺到したという。彼らにとって石ノ森はカリスマであり、本書はバイブルでもあった。
石ノ森章太郎『ジュン』出典: © 石森プロ
壮大なる実験作
1966年12月に発売された『COM』創刊号を見て、『マンガ家入門』で石ノ森章太郎ファンになっていた多くのマンガ少年・少女が驚きの声をあげた。『ジュン』の第1回が掲載されていたからだ。セリフは少なく、縦方向だけだったコマ割りは、次号では横方向だけになる。まさに前衛だった。イメージの積みかさねで構成された『ジュン』は、読者の想像力を刺激した。その感じ方に正解はない。いや、すべての感じ方が正解なのだ。
石ノ森章太郎『009ノ1』「指令No.1」より出典: © 石森プロ
青年マンガにおける性表現のひろがり
1960年代後半、大人向けと子ども向けに分化していた日本のマンガのなかに、戦後生まれの団塊の世代を標的にした青年マンガが誕生した。少年マンガとの違いは「性の要素」が追加されたこと。ティーンによって発見された石ノ森章太郎は、青年マンガでもセクシュアルな美女が活躍する作品を多数発表した。鼻歌まじりに描いたような肩の凝らない作品が大半だが、読者も複雑な物語よりも肌もあらわな美女の登場シーンを望んでいた。
石ノ森章太郎『佐武と市捕物控』「狂い犬」より出典: © 石森プロ
江戸の四季とともに人の不条理をも描いた石ノ森マンガの最高傑作
かつて、『半七捕物帳』(作:岡本綺堂)を嚆矢とする捕物帖の数々は、江戸の情緒を季節感とともに伝える「季の文学」として親しまれていた。『佐武と市捕物控』(『少年サンデー』~『ビッグコミック』、小学館、1966)は、そんな捕物帖の系譜に連なることを意識して描かれた「季のマンガ」である。印象に残るのは、積乱雲、驟雨(しゅうう)、稲光……といった夏の描写だ。酷暑がテーマのエピソード「狂い犬」は、読み返すたび『異邦人』(作:カミュ)のことをふと思い出す。あれは「太陽がまぶしかったから」殺人を犯した男の物語だった。
石ノ森章太郎『仮面ライダー』1巻より出典: © 石森プロ
石ノ森ヒーローマンガはSDGsとAIの時代の先駆けだった
『仮面ライダー』も『人造人間キカイダー』(『少年サンデー』、小学館、1972)も、主人公は『009』と同様に、悪の組織に改造か製造された経験を持つ。とりわけ『仮面ライダー』は、バイオ技術の悪用や地球環境の破壊に警鐘を鳴らしてもおり、いまならSDGsマンガと呼ばれてもおかしくない。不完全な「良心回路」を埋め込まれた『キカイダー』は、完全な悪になることで人間になる。これもAIの行き着く先の暗示ではないのか。石ノ森のヒーローマンガは重いのだ、じつは。
石ノ森章太郎『マンガ日本の歴史』27巻より出典: © 石森プロ/中央公論新社
前人未踏の全55巻描き下ろしによる学習マンガ
ひとりのマンガ家による全55巻の描き下ろし学習マンガ『マンガ日本の歴史』(中央公論社、1989)は、過去に例を見ない壮大な企画である。石ノ森は、このシリーズを始めるにあたり「萬画宣言」をしたが、それは手塚治虫亡きあとのマンガ界での自身の立場を確認すると同時に、本シリーズに対する決意の表明でもあったはずである。視力が衰え、目につらいライトの反射光防止のため、薄緑色の特製原稿用紙まで作って描き上げた本シリーズは、まさしく歴史マンガの金字塔だ。
石ノ森章太郎『さんだらぼっち』1巻より出典: © 石森プロ
前衛を排除して長期連載となった「人情コミック」
60年代までの石ノ森は絶えず新しいマンガ表現の開発に取り組んでいたが、いつも読者の理解を得るわけではなかった。そんな石ノ森の表現が「丸く」なったのは『さんだらぼっち』(『ビッグコミック』、小学館、1975)あたりからか。「尖った演出」は影をひそめ、オーソドックスな構成で綴られた人情噺は人気を得て8年も続く。1984年スタートの『HOTEL』もホテル勤務のレギュラー陣とゲストが織りなす人情噺で、石ノ森が死去する98年まで14年間の長きにわたって連載された。
協力:石森プロ
文:すがやみつる(マンガ家/京都精華大学)
編集:島貫泰介、新原成華、福島夏子(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作