作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所
京都女子大学 生活デザイン研究所
阿波しじら織とは
阿波しじら織は、徳島県で生産される織物です。布表面のシボとよばれる凸凹によって、独特の風合いと肌触りが生み出されています。昭和53年に、天然の阿波藍染料を使った「阿波正藍しじら織」が国の伝統工芸品に指定されました。
阿波しじら織の誕生
明治維新のころ、阿波阿宅村に織物の上手な女性、海部ハナがいました。ある日、織り上げて外に干していた縞の着物が、突然の雨で濡れてしまいます。雨が上がり、夏の日差しの中で干し、乾いた布に目をやると、所々に今まで見たこともない凹凸ができていました。これがしじら織の始まりです。この偶然からヒントを得たハナはその後工夫を重ね、新しい縮み縞、しじら織を作り上げたのです。
最盛期と衰退
1877年ごろには年間生産高150万反、県内に200軒を超える機屋と5000人余の従業員を数え、1919年ごろに最盛期を迎えました。しかし大正時代に入り、藍の主成分であるインジゴの化学染料が工業化され、阿波しじら織と阿波藍の需要は減少の一途をたどります。
戦後の復元
戦中・戦後には綿が国の統制品とされ、しじら織の生産は中止を余儀なくされましたが、昭和26年に統制が廃止されたと同時にしじら織の製造を再開しました。しかし伝統あるしじら織の復元は簡単なものではなく、とくに藍染の藍建ては困難を極めましたが、昭和53年7月にはその努力と功績をたたえ、国指定の伝統工芸品指定を受けました。
阿波しじら織の魅力
シボと呼ばれる経糸の張力差によって生じる表面の凸凹が特徴です。凸凹には独特の風合いや素朴な美しさがあり、さらりとした肌触りが清涼感をもたらします。
阿波藍
徳島で作られる藍を阿波藍といいます。古くから吉野川領域で栽培されていました。江戸時代中頃に大衆衣料に多く用いられた木綿の染料として阿波藍は全国に広まりました。明治36年頃まで全国に幅広く流通しました。藍染により防虫、消臭、布を丈夫にする効果が期待できます。
《阿波しじら織の製造工程》糸繰り
整経用の経糸や緯糸として使うために、染織した枷をチーズ状に巻き取る工程です。
《阿波しじら織の製造工程》染色
「すくも」と呼ばれる藍の染料を大谷焼の甕に入れ、発酵させて染液を作ります。藍染に最適な温度を一定に保つため、瓶は地中に埋められています。
《阿波しじら織の製造工程》藍染の水洗い
染液に糸や布を浸け、水で洗い空気にさらします。藍は空気に触れることによって青に変化していきます。
《阿波しじら織の製造工程》機織
経糸を反物の幅に合わせて糸本数、長さ、色糸の配列などを揃えて整経機で巻き取ります。平織部と引揃部の組み合わせ組織が異なるため糸の張力に差が生まれ、表面に凹凸が現れます。
阿波しじら織 《機織り機》撮影:難波咲子(2016-12-12)京都女子大学 生活デザイン研究所
阿波しじら織 《機織り機の並ぶ工場内部》撮影:難波咲子(2016-12-12)京都女子大学 生活デザイン研究所
時代に合わせて
明治から昭和にかけて、阿波しじら織は人々の生活に溶け込んでいました。主に女性は単衣、男性は甚平として肌触りのよさを活かせる衣類に使われてきました。最近では時代の変化に合わせ、ネクタイやシャツ、インテリア製品も作られています。
【資料提供・協力】
・長尾織布合名会社
【監修・テキスト】
・難波咲子、武地美穂、谷川真純、加藤里佳(京都女子大学 生活造形学科)
【翻訳】
・黒崎 美曜・ベーテ
【英訳監修】
・メリッサ・リンネ (京都国立博物館)
【サイト編集・制作】
・難波咲子、武地美穂、谷川真純、加藤里佳 (京都女子大学 生活造形学科)
【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学)
・山本真紗子(立命館大学)