布志名舩木窯

江戸時代後期から約170年続く布志名(ふじな)の窯。六代続く島根の名窯。

作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所

京都女子大学 生活デザイン研究所

布志名焼《舩木窯からの景色》撮影:森善之(2017)京都女子大学 生活デザイン研究所

布志名焼の歴史

布志名焼(ふじなやき)歴史は舩木系の歴史でもあり、約300年を誇ります。江戸時代の中頃、舩木与次兵衛村政が布志名の地に移り住み、その3人の子どもがそれぞれ窯元を成し、これが布志名焼の始まりです。そのうちの一家が1845(弘化2)年に分家して開窯したのが現在の舩木窯です。初代が舩木平兵衛、二代・浅太郎、三代・浅太郎雲平、大正時代には四代・道忠(みちただ)へと続きます。このように直系で続く島根の窯の中では、一番旧い窯だと言われています。当時、流通の中心を担っていたのは海上輸送でした。舩木窯がある宍道湖の入江は船着き場となっていて、布志名焼のやきものもここから全国へ出荷されていました。

布志名焼《舩木窯》撮影:森善之(2017)京都女子大学 生活デザイン研究所

舩木窯の歴史

三代目の時代は輸出用陶器が主力でした。舩木窯の敷地内に多くの小屋があり、当時は分業制でしたので大勢の人が働いていました。正式な職人の数は20数名いたと舩木窯には記録が残っています。他にも当時この一角には11、2軒の窯があり、職人たちが各窯を回っていたので、舩木窯に関わる人数は延べ二百数十人はいました。江戸時代は松江藩の庇護を受けて、お茶道具を作る御用窯が数軒あり、舩木窯のような民間の窯は北前船に出荷する雑器などを作っていました。ところが藩の庇護が受けられなくなり御用窯が衰退すると、明治になって民窯が勢いづき、博覧会に出品したり陶器の輸出を始めた頃には、舩木窯は近辺の窯の指揮を執るようになりました。そしてそれが大正時代まで続きました。

布志名焼《輸出陶器》撮影:森善之(2017)京都女子大学 生活デザイン研究所

輸出陶器の時代

明治から大正時代にかけての舩木窯の輸出陶器の一部は、フランスの高級陶磁器であるリモージュの廉価版として作られ、アメリカやドイツに輸出していました。一方、海外の博覧会に出品する時は、純和風で細工のあるものや、西洋人好みを意識したものが喜ばれ、舩木窯はそれらの陶器を得意としていました。当時アメリカのシンシナティにルックウッドという会社があり、お互いに影響を受けながら、釉薬の技術的な切磋琢磨をしていました。深い緑色や辰砂の赤色がリモージュ風の形によく合っています。

布志名焼《民藝との出会い》撮影:森善之(2017)京都女子大学 生活デザイン研究所

民藝との出会い

四代目の舩木道忠は1900年生まれです。若い頃は西洋画を志し、東京の美術学校に通いましたが、輸出陶器が斜陽となり家業を継ぐことになりました。その時期に大原美術館の大原孫三郎と出会い、道忠は個人作家への道を選ぶことになります。また、濱田庄司やバーナード・リーチ、柳宗悦たちとの出会いに繋がってゆきました。五代・研兒の頃は民藝運動が盛んだった時代なので、民藝運動の人たちが出西窯などに指導的な立場で入る時には、舩木窯は必ず立ち寄る場所でした。ただ民藝運動の人たちとは個人的な深いつきあいであり、影響を受けながらも、舩木窯は民藝運動を推進する窯ではありませんでした。今でもその縁を窺わる品が舩木家にはあり、往時の面影を色濃く遺しています。

布志名焼《四方瓶》(2017) - 作者: 舩木道忠(1900-1963)、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

四代・道忠の作品

舩木道忠は来待石(きまちいし)を使い、布志名黄釉を完成させて、1962年に島根県無形文化財指定保持者に認定されています。「縁のところに少し色を入れたりとか、細かい処に神経を遣うのが、祖父らしいです。祖父が美学生の頃はアール・ヌーボーやアール・デコが流行りでしたから、肩の張り方とか、バランスなどは、特にその影響を感じます。祖父の方が装飾性に富んでいる。父は形を整理して、シンプルに力強く、というのが特徴です。祖父は繊細で、ちょっとオシャレな作行きです」と六代目の伸児さんが解説してくださいました。 

布志名焼《オリーブグリーン大皿》(2017) - 作者: 舩木研児、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

五代・研兒の作品

五代目の舩木研兒(ふなきけんじ)は1927年生まれです。オリーブグリーンの鮮やかな大皿は、五代目らしいモダンでシンプルな造形です。濱田庄司に師事し、1950年に日本民藝館賞を受賞しました。 1967年に渡英、バーナード・リーチやデビット・リーチの窯にて研鑽し、本格的にスリップウェアの技法を取り入れたことでも有名です。大皿やハンドル付きのピッチャーなど代表作は多く、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館などにも作品がコレクションされています。

布志名焼《茶碗》(2017) - 作者: 舩木伸児、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

六代・伸児の茶碗

六代目の舩木伸児さんは、1960年生まれです。舩木窯の伝統を踏まえながら、独自の造形と意匠で制作を続けています。来待釉を上品に仕上げたこの茶碗は、伸児さんが気に入っている茶碗の1つです。「これは48歳くらいの時のものですが、これをもう一回作れと言われてもできません。」とお話してくださいました。

布志名焼《大鉢》(2017) - 作者: 舩木伸児、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

六代・伸児の大鉢

銀彩の地に、深い藍色の水玉模様が印象的な大鉢です。銀彩は本焼きの後、3回ほど焼き付けきます。この他にも島根で採れる来待石を原料とした来待釉を使い、淡い黄色の器や、深い茶色や緑の釉薬にスリップウェアと呼ばれる独特な技法を施した器などを作っています。

※スリップウェア…スポイトで化粧土を絞り出し、文様を描く技法。もともとはイギリスの陶器に用いる加飾技法の一つ。

布志名焼 《布志名舩木窯の特徴》(2017) - 作者: 舩木窯、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

布志名舩木窯の特徴

布志名焼300年の歴史は、初期は藩の庇護を受けて、茶陶とくに松平不眛公好みの茶碗など、お好み帳に沿ったものを作るという時代がありました。その次に、明治から大正にかけて世界各地の博覧会に出品したり、海外に向けて輸出陶器を作ることが中心の時代がありました。そして昭和に入って民藝運動の人々との出会いから、その影響を受けた作品づくりをする時代があり、3つの大きな流れが約百年ごとにあります。長く続いている窯でありながら、常に時代と向き合い、もの造りをしてきた歴史が布志名舩木窯にはあります。

布志名焼《舩木伸児》撮影:森善之(2017)京都女子大学 生活デザイン研究所

舩木窯のこれから

六代目の伸児さんは「今、この時しかないという気持ちで仕事をしています」とおっしゃいます。

布志名焼《ビューイングルーム》(2017) - 作者: 舩木窯、撮影:森善之京都女子大学 生活デザイン研究所

ビューイングルーム

舩木窯は事前連絡をすればいつでも見学可能です。六代目・伸児さんの作品はビューイングルームで展示・販売されています。

提供: ストーリー

【資料提供・協力】
船木窯

【監修・テキスト】
・上野昌人

【英語サイト翻訳】
・エディ―・チャン

【サイト編集・制作】
・有賀優(京都女子大学家政学部生活造形学科

【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也(京都女子大学 准教授
・山本真紗子(立命館大学)

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。
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