作成: 京都女子大学 生活デザイン研究所
京都女子大学生活デザイン研究所
穴太積み
かつて比叡山麓の穴太と呼ばれる地域で活躍していた石垣職人の集団がいました。彼らは「穴太衆」と呼ばれ、自然石を加工せずそのまま積み上げる「野面積み」という技法で石垣を作りました。この穴太衆が手掛けた石垣を「穴太積み」と呼びます。穴太積みはとても頑丈であり、1571年に起こった比叡山焼き討ちでも穴太積みの石垣だけは全く崩れず、織田信長(1534-1582)もその強固さに驚いたと言われています。
穴太積み《比叡山麓の穴太積み》(2019) - 作者: 穴太衆京都女子大学 生活デザイン研究所
1つ目の石を積み終えたところです。このように角に積む石は「角石(すみいし)」と言い、構造上とても重要な石となります。「この石が積めるようになってやっと一人前」と言われるほどです。
細かい移動は石工道具などを駆使しながら職人の手によって行われます。粟田家では家訓として「石の声を聴き、石の行きたい所へ持っていく」という言葉があります。まさにその言葉の通り、試行錯誤しながら石の置く場所を決めていきます。一度石を積んでから違う石に変えてみたり、一つの石を積むのに1時間以上かかったりすることもあるほどです。
周りに石を積んだら、中に「栗石(ぐりいし)」と呼ばれる細かい石を充填していきます。これによって、水はけが良くなったり崩れにくくなったりする効果があります。今回石垣の下にはコンクリートが打ち込まれていますが、実際に城の石垣を作る時の地面は土です。その時はこの栗石を使って最初に下地を作ります。
間詰め
石と石の間に出来る隙間に、小さな石をパズルのように詰めていきます。一見簡単そうですが、この作業をきちんとやることで、石垣の寿命が5年10年と違ってきます。
裏側にも同じくしっかり石を詰めていきます。築石の裏側に詰める石を「介石」といい、介石はまっすぐ水平に配置します。そうすることで築石の力が均一に分散されるため、頑丈な石垣になるのです。
石加工
大昔に比べて現代では石の加工技術が発達しているため、穴太積みでも石を加工することがあります。ノミという道具を使って石を叩き、細かく削って少しずつ石の形を変えていきます。しかし、野面積みを技法とする穴太積みでは、無理やり加工することはせず、本来の石の良さを生かせるように加工していきます。
こうして時間をかけて数々の作業を繰り返し、石垣が作られていきます。この石積みは3日かけてやっとここまで出来上がりました。大きさも形も様々な石で積まれており、とても迫力があります。
伝統を受け継ぐ
現在15代目の粟田家は、全国で講習会を開いたり、海外にも進出するなど積極的に活動しています。粟田家にこの伝統技術を後世に伝えたいという熱意があったからこそ、今日まで受け継がれてきたのです。
【取材協力】
・株式会社粟田建設
【写真・テキスト・編集・制作】
・山内早弥子(京都女子大学生活造形学科)
【翻訳】
・エディ―・チャン
【プロジェクト・ディレクター】
・前﨑信也 (京都女子大学 准教授)