手塚治虫の何が新しかったのか

マンガ界に巨大なインパクトを与えた手塚治虫と、それ以前に多彩な表現を生み出していた作家たち

作成: 経済産業省

手塚治虫、『漫画少年』(学童社)巻頭のセル画合成 ©︎ Tezuka Productions

手塚治虫『新寶島』完全復刻版、小学館クリエイティブ、pp.2-3(2009)出典: ©︎ Tezuka Productions

手塚治虫のインパクト

 『新宝島』(構成・酒井七馬、作画・手塚治虫、育英出版、1947)のヒットで全国の漫画少年に知られることになった手塚治虫は、後続の世代に絶大な影響を与えた。だが近年の研究で、戦後手塚が開拓したと思われてきた表現や主題の多くが、すでに1930年代の子供マンガの世界に存在していたことがわかってきている。ここでは、手塚以前の子供マンガの豊かさに触れた上で、これから再検証されるべき手塚の革新について考えてみたい。

荒井一寿『ドン太郎と左膳』、日昭館書店、pp.52-53(1934)出典: -

コマ割り

 『新宝島』も、田河水泡による戦前のヒット作『のらくろ』も、1ページを横長のコマ3つに分割するコマ割りが基本で、時に2コマ分の大きさのコマを入れたり、1ページ、あるいは見開き全体を1コマにするなどのメリハリをつけていた。だが、赤本マンガ(赤本と呼ばれた安価な娯楽書類を手掛けていた出版社が刊行したマンガ本。書店だけでなく、露店や玩具店、雑貨店などにも流通した)には、荒井一寿の作品のように、もっと変則的でありながら、読みやすさはさほど損なわれないコマ割りを多用するものもあった。

荒井一寿『ドン太郎と左膳』、日昭館書店、pp.54-55(1934)出典: -

新関青花(健之助)『少年勇敢艇長』(『少年少女譚海』1934年10月号別冊付録)、博文館(1934)出典: -

コマとコマをつなぐ技法

 『新宝島』には、コマからコマへとスムーズに読者を誘導し、なおかつ読者に特定の人物への感情移入を促す技法として、手前のコマで主人公がコマの外に何かを見つける様子を描き、その次のコマで主人公の主観ショットで主人公が見つけたものを描く、という展開があった。映画によく見られるショットのつなぎを応用したこの技法も、新関青花(健之助)や大城のぼるなど、少年時代の手塚が愛読した作家たちがすでに用いている。

新関青花(健之助)『少年勇敢艇長』『少年少女譚海』1934年10月号別冊付録)、博文館(1934)出典: -

島田啓三『ネコ七先生』、大日本雄弁会講談社、pp.64-65(1940)出典: ©︎島田啓三

アメリカのカートゥーンのスタイル

 『冒険ダン吉』(大日本雄弁会講談社、1933-39)で田河水泡に次ぐ人気を誇った島田啓三は、田河よりいっそう直接的にアメリカのコミックスやカートゥーン・アニメーションの様式を自分のものにしていた。『フィリックス・ザ・キャット』を思わせる造形の猫が主人公となる『ネコ七先生』は、『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)で1939年から40年まで連載され、大日本雄弁会講談社から単行本が出ているが、単行本未収録分には、ネコ七先生がディズニーのキャラクターたちと出会うエピソードもあった。

大城のぼる『火星探検』復刻版、小学館クリエイティブ、pp.50-51(2005)出典: ©︎大城のぼる

SF

 『のらくろ』以後の子供マンガブームは教育関係者に問題視されるようになり、出版物の検閲を行っていた内務省が1938(昭和13)年に「児童読物改善ニ関スル指示要綱」を出して赤本マンガの大量発禁処分を行うに至る。「指示要綱」で科学読物の出版が奨励されていたこともあり、赤本マンガに科学的な題材を扱うものが増え、その中から、手塚も高く評価する傑作『火星探検』(原作・旭太郎、作画・大城のぼる、中村書店、1940)が登場する。

田河水泡『のらくろ武勇談』、pp.158-159(1938)出典: ©田河水泡 / 講談社

傷付く身体

 体がぺちゃんこにつぶれてもすぐに元に戻り、大爆発に巻き込まれても顔がすすだらけになって情けない顔をするだけ……といった描写が主流だったマンガの世界に、それらと同じマンガ的な造形のキャラクターがリアルに傷つき時には死んでしまうという描写を導入したのが手塚だったとも言われる。しかし、それ以前に、のらくろも1937年から翌年にかけて描かれた『のらくろ総攻撃』『のらくろ決死隊長』『のらくろ武勇談』の中では、それまでとは違うリアルな傷つき方をし、瀕死の重傷を負っている。

芳賀たかし『愉快な子熊』、中村書店、pp.112-113(1939)出典: -

成長物語

 「指示要綱」に沿った教育的なマンガとして、『シートン動物記』のひとつ『灰色熊の伝記』をもとに描かれた芳賀たかしの『愉快な子熊』(中村書店、1939)は、写実的な絵柄を用いながら、コマわりと吹き出しで物語を展開し、子熊の身体的・精神的な成長を描いた。主人公の成長は、手塚の『ジャングル大帝』(学童社、1950-54)もそうであったように、戦後の少年少女マンガの重要な主題になるが、それを描く試みはすでに戦時下で始まっていた。

手塚治虫『来るべき世界』、不二書房(1951)、pp.48-49、復刻版=名著刊行会(1980)出典: ©︎ Tezuka Productions

重層的な物語

 ここまで見てきたように、手塚以前にはなかったと思われがちな主題や表現の多くが、実際には戦前・戦中の子供マンガにすでにあった。一方で、手塚以前には今のところあまり見られず、手塚が本格的に確立したと言えそうな要素もある。ひとつは、重層的な物語構成である。『来るべき世界』(不二書房、1951)のように、宇宙人の到来、東西冷戦の危機、といった大きな物語の枠組みの中で、主役級の複数の登場人物がそれぞれ別に行動し、並行して展開されるエピソードが絡み合っていくという見事なストーリーテリングは、後続の作家たちに大きな影響を与えたと思われる。

手塚治虫『メトロポリス(大都会)』、育英出版(1949)、pp.124-125、復刻版=名著刊行会(1980)出典: ©︎ Tezuka Productions

性的な身体

 リアルに死んでしまう可能性を持った傷つく身体は、すでに『のらくろ』にも現れていた。一方、初期の手塚が、登場人物の性的欲望を意識させる身体描写を繰り返しているのは注目すべき点である。『ロストワールド』(不二書房、1948)には、自分の「およめ」欲しさに植物から人工的に人間型の女性をつくり出す博士が登場し、『メトロポリス』(育英出版、1949)には、主人公の人造人間が、暴力的に手を口の中に入れられ、なぜか喉の奥にある性転換スイッチを切り替えられる描写が出てくる。

手塚治虫『罪と罰』、東光堂(1953)、pp.8-9、復刻版=名著刊行会(1980)出典: ©︎ Tezuka Productions

内面心理の掘り下げ

 手塚は、『来るべき世界』で、「籠の鳥の刑」と言われる、24時間一定の明るさの空間で何もされない何もさせてくれない、食事だけが与えられる状態で何日も放置される刑罰を受けた青年の精神が、次第に歪んでいく様子を描いた。ドストエフスキーの小説をマンガ化した『罪と罰』(東光堂、1953)では、さらに様々な手法を用いて主人公の複雑な心理描写を試みている。「子供向け」をあえて意識しないかのような手塚の挑戦は、戦後の日本の物語マンガの基礎を築いていく。

提供: ストーリー

文:宮本大人(明治大学)
編集:菊地七海、福島夏子+宮﨑由佳(美術出版社)
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作

提供: 全展示アイテム
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