日本のオルタナティブ・コミックス、これまでとこれから

<インタビュー>青林工藝舎『アックス』編集長・手塚能理子さん

作成: 経済産業省

『月刊漫画 ガロ』撮影=ただ(ゆかい)

『アックス』編集長・手塚能理子さん出典: 撮影=ただ(ゆかい)

 『月刊漫画 ガロ』。白土三平の『忍者武芸帖』など、貸本マンガの出版を手掛けていた長井勝一が設立した青林堂から1964年に創刊されたこの雑誌は、白土のライフワークとも言える『カムイ伝』が連載され、やがて新しいマンガ表現を試みる作家たちの拠点となり、日本のマンガ史に大きな足跡を残した。長井の没後、青林堂から独立した編集者たちが立ち上げた青林工藝舎から、1998年に創刊された『アックス』は、それ以後の日本のオルタナティブ・コミックスをリードしてきた。両誌の編集に携わってきた手塚能理子さんにお話をうかがった。(取材日は2020年7月8日)

『月刊漫画 ガロ』1968年9月号(1968)出典: 撮影=ただ(ゆかい)

13歳、『ガロ』との出会い

 私が初めて『ガロ』を知ったのは、13歳だった1968年頃です。当時よく聴いていたラジオの深夜放送や、2つ上の兄の友人たちの話に『ガロ』という雑誌名が出てきて、どんな雑誌なんだろうと、興味を持ちました。地元・宇都宮で『ガロ』を置いている本屋さんが一軒だけあって、そこで手に取った号の表紙が白土三平さんの「カムイ伝」で。

林静一『赤色エレジー −抒情−』pp.14-15(1976)出典: ©️林静一、小学館、撮影=ただ(ゆかい)

 刀でバサっと切られた腕や血が吹き飛んでいる絵が怖くて話も難解だったので、そのときはあまりピンと来なかったんですけれど、70年の1月号から林静一さんの「赤色エレジー」がスタートすると、そこから一気にのめり込みました。日曜日に東京に出てきて、本屋さんで60年代のバックナンバーやガロ作家の単行本を買って読んでいました。

当時の青林堂出典: 青林工藝舎

採用面接で再会した“変わったじいさん”

 24歳のとき、『ガロ』で社員募集の記事を見つけて。高校時代から、青林堂で働きたいと思っていたので、ダメ元で受けてみたら受かっちゃって。そのとき面接をしてくれたのが、創業者で初代編集長の長井勝一さんでした。じつは、長井さんと会ったのはこのときが初めてではなかったんです。当時、ときどき行っていた吉祥寺の「ぐゎらん堂」というフォーク喫茶に、長井さんも毎晩通っていて。いつも若い女の子と一緒で、ネルシャツのポケットになぜか歯ブラシを差していたんですよ。「変わったじいさんがいるなぁ」と思って見ていたんですけれど、今度はそのおじいさんが、目の前で背広を着て座っているんでびっくりしました。

 後で採用された理由を聞いたら、中卒か高卒で、かつ地方出身者が欲しかったそうなんです。そのほうが「なんでも言うことを聞いてよく働くから」って! それに論文も提出したんですけれど、その論文を鉛筆で書いた人は落としたそうです。私はたまたま万年筆で書いていたんです。論文の内容はあまり関係なかったんですね(笑)。

青林堂創業者・長井勝一の遺影出典: 撮影=ただ(ゆかい)

写真:事務所には、長井勝一さんの遺影が。写真家の荒木経惟が撮影したものだという。

入社当時の手塚能理子さん出典: 青林工藝舎

謝ってばかりいた書店営業、右も左もわからない編集者の仕事

 入社してからすぐ、書店営業と編集を並行してやっていました。書店営業は本当に大変でした。首都圏近郊をひとりでまわるんですけれど、『ガロ』は全然売れていなかったので、「お前んとこの本、全然売れないんだよ!」なんて箒ではき出されたりして(笑)。マンガが好きな方がやっていらっしゃるお店なんかは、『ガロ』のほかに単行本も置いてくれたりしたのですが、それもなかなか売れないので、申し訳なくて。いつも謝ってばかりいました。

つりたくにこ『青林傑作シリーズ23 六の宮姫子の悲劇』、pp.4−5(1979)出典: ©️つりたくにこ、青林堂、撮影=ただ(ゆかい)

 編集者として初めてつくった単行本は、つりたくにこさんの『六の宮姫子の悲劇』(傑作シリーズ)です。長井さんには「好きにつくれば良いんだよ」と言われましたが、そうは言っても何をどうして良いのかわからない(笑)。隣の席にいた先輩の斎藤さんという男性社員に一から全部教えてもらって、わからないながら無我夢中でつくりました。 

「面白主義」と「ヘタうま」の時代


 私が入社した79-80年頃、『ガロ』の編集部には南伸坊さんと渡辺和博さんがいました。70年代に南さんが始めた「面白主義」は自由で面白かったです。糸井重里さん原作・湯村輝彦さん作画の「ペンギンごはん」が1976年に始まりました。いわゆる「ヘタうま」の誕生でしたが、その破壊力はその後の多くの作家に影響を与えました。そんな流れが生まれてきたのがこの時代です。70年代末から80年代前半は、じつは『ガロ』がいちばん売れていない時期でしたが、代わりに単行本が売れ出していました。

泉昌之『かっこいいスキヤキ』(1983年、左)内田春菊『南くんの恋人』(1987年、右)出典: ©️泉昌之、©️内田春菊、青林堂、撮影=ただ(ゆかい)

 蛭子能収さんの本『地獄に堕ちた教師ども』が売れだして、みうらじゅんさんや根本敬さんがデビューして、泉昌之(泉晴紀と久住昌之のコンビ)さんも「夜行」でデビューして『かっこいいスキヤキ』がすごく売れて、杉浦日向子さん、近藤ようこさんなど新しい世代の人たちの単行本もどんどん発売されて……。また、内田春菊さんの『南くんの恋人』もヒットして、のちにテレビドラマ化もされました。あの頃は全体的に活気がありましたね。

泉昌之『かっこいいスキヤキ』pp.10−11(1983)出典: ©️泉昌之、青林堂

青林工藝舎のドア横にかけられている、しりあがり寿による掛軸出典: 撮影=ただ(ゆかい)

しりあがり寿と出会った“外の世界”

 じつを言うと私、青林堂を一度やめているんです。退社してから6年ほど、外で編集プロダクションの経理と編集の仕事をしていました。大手出版社や編集プロダクションと仕事をしたことで、青林堂の仕事の仕方がほかとは全然違うんだということを知りました。同時に、昔の青林堂というのはものすごく自由で面白い会社だったということも。
 外の世界に出ていちばんうれしかったのは、しりあがり寿さんと知り合えたことです。

 青林堂にいるときから「すごい人がいる」という噂は聞いていたのですが、実際にお会いしたのはやめてから。しりあがりさんの『夜明ケ』(白泉社、1990)は知り合いの編プロで編集を手伝わせていただいたんですが、最初に作品を見たとき「この人はこんなに若いときからすごい作品を描いていたんだ」ってびっくりしましたね。  
 結局また『ガロ』に戻ることになるのですが、しりあがりさんにはすぐに連載をお願いしました。当時しりあがりさんはまだ会社勤めをされていたので、オフィスのある原宿まで原稿を取りに行っていました。 

『アックス』編集長・手塚能理子さん出典: 撮影=ただ(ゆかい)

再び古巣へ

 『ガロ』に戻ったのは、91年です。その前年に、青林堂の代表が長井さんから山中潤さんに代わっていました。長井さんのお家に遊びに行った時、「青林堂に戻らないか」って誘われたんです。また貧乏するのは嫌だなぁって思ったので、「ちょっと考えさせてください」って答えたんです。ところが長井さんってとってもせっかちな人で、次の日に青林堂の社員の方から電話がかかってきて。「手塚さん、青林堂に戻るんだって?」って(笑)。返事していなかったんですけれどね、長井さんの中ではもうそういうことに決まっていたみたいですね(笑)。

みうらじゅんの『ガロ』デビュー作「ウシの日」(『月刊漫画 ガロ』1980年10月(第201)号より)(1980)出典: ©️みうらじゅん、青林堂、撮影=ただ(ゆかい)

みうらじゅんの事務所が溜まり場だった

 『ガロ』で担当したなかで特に思い出深い作家は、やっぱりみうらさん、根本さん、蛭子さん、荒木経惟さんとか、その時代の人たちですね。みうらさんが、早くから原宿のワンルームマンションに事務所を構えていたんです。そこに蛭子さんや根本さんや編集の人たちが入り浸っていて、よく遊んでいました。私も締め切り近くなっても原稿が上がってこないと、作業場に行ってベタ塗りを手伝ったりしていましたね。その真上の部屋にエッセイストの泉麻人さんが越してきた、なんてこともありました。

友沢ミミヨ『いもほり』(1995)出典: ©️友沢ミミヨ、青林堂、撮影=ただ(ゆかい)

こちらから連載をお願いした、一目惚れの作家

 『ガロ』はだいたいが作家さんの投稿や持ち込みからスタートするのですが、こちらからお願いした人もいて。そのなかでも印象的だったのが友沢ミミヨさんです。当時、ベルリン国際映画祭でウォルフガング・シュタウテ賞を獲ったイワモトケンチさんの事務所でインタビューをしていて、そのときにお借りしたトイレのドアに小さなイラストが貼ってあったんです。それがもう、気になって気になって。

 インタビューが終わったあと、そのイラストの作者が誰なのかをイワモトさんに聞いたら、友沢ミミヨさんで、そのとき初めて名前を知りました。それで連絡先を聞いて、すぐに会って打ち合わせして、連載してもらいました。 

『アックス』2020年6月(第135)号(2020)出典: 青林工藝舎、撮影=ただ(ゆかい)

『ガロ』から『アックス』へ

 97年、『ガロ』は存続危機に陥っていました。残念ながらその後会社は良い方向に行かず、結局青林堂を出て『アックス』を創刊したんです。その頃は不安で怖くて自信もなくて、生きた心地がなかったです。最初はお給料も出せないので、スタッフ皆でバイトしながら、空いた時間で事務所に集まって仕事していました。先のこともわからないのに作家さんを巻き込んだことについて謝り続けていたら、ある作家さんに「作家は雑誌についていくのではなく、編集者についていくのだから、もう謝るのはやめていっしょに楽しいことやりましょうよ」っていわれて。それで腹を決めることができました。『ガロ』もそうでしたが、『アックス』もまた作家に支えられて成り立っている場所なので、感謝しかありません。

しりあがり寿のイラスト出典: 撮影=ただ(ゆかい)

写真:『アックス』創刊号表紙のために、しりあがり寿が描き下ろしたイラスト。今も額縁に入れて大切に保管されている。

花輪和一『刑務所の中』、pp.96−97(2000)出典: ©️花輪和一 / 青林工藝舎

「刑務所の中」の衝撃

 『アックス』を創刊して、22年が経ちました。その中で大きかったのは、やっぱり花輪和一さんの連載「刑務所の中」です。あれは本当にびっくりしましたね。よくぞ描いてくださった! って感謝しています。青林堂がゴタゴタし始めたときに花輪さんは刑務所に入っていて、ちょうど『アックス』を創刊した頃に出所されたんです。こちらの事情も聞いたらしく、「た、た、た、たいへんでしたね」なんて書いたハガキをくれて。それで何か描いてもらおうとすぐにオファーしたら、二つ返事で受けてくださいました。

 「今は刑務所の中の話しか思いつかない」ということで、実体験をもとにした連載をスタートさせたのですが、これがめちゃくちゃ面白い。連載が終了した頃、会社は火の車で倒産危機にあったんですが、単行本『刑務所の中』が大ヒットして、とても助かりました。

『アックス』編集部の様子出典: 撮影=ただ(ゆかい)

名作の宝庫

 じつは『アックス』発のマンガって、結構賞をいただいているんです。目立たないんですけれど(笑)。最初は、99年にQ.B.B.の『中学生日記』が文藝春秋漫画賞を受賞して。そのあと、島田虎之介さんが『トロイメライ』で手塚治虫文化賞の新生賞を獲ったときは、びっくりしました。まだ新人で世間での認知度もいまほどなかったですから。でも完成度が高かったのでそれが評価されたことがうれしかったです。その後、辰巳ヨシヒロさんが『劇画漂流』で手塚治虫文化賞の大賞を受賞されました。日本漫画家協会賞では、勝又進さんが大賞を、齋藤なずなさんが優秀賞を受賞されて、とてもうれしかったです。

青林工藝舎の事務所には、翻訳出版された本が並ぶ出典: 撮影=ただ(ゆかい)

世界に広がる日本のオルタナティブ・コミックス

 『アックス』の作品は海外でも、ある一定層に人気があります。特に辰巳ヨシヒロさんは早い段階でヨーロッパで翻訳されていましたし、それにヘタうま系や、80年代にデビューしたいわゆるサブカル系といわれていた人たちも、海外の作家との交流は早かったですね。フランスのオルタナコミック界の人たちがまず根本敬さんに注目して交流を始めました。それ以降、日本の作家たちがフランスのオルタナコミック雑誌に描いています。日本のマンガが世界で知られるようになると、青林工藝舎にも海外からのお客さんが多くいらっしゃるようになりました。出版社の方だったり、アーティストの持ち込みだったり……なんでこんな小さな会社に外国の方がたくさん訪ねてくるんだろう、っておどろきますが(笑)。

『アックス』編集部のデスクには、『月刊コミックビーム』も出典: 撮影=ただ(ゆかい)

コミックビーム、トーチwebの存在

 『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)や「トーチweb」(リイド社)といったほかのオルタナ系媒体は、今のマンガ界にとって非常に重要な“場所”です。アックスの作家も含めて、若手作家が勝負をかける魅力的な場所が、どんどんなくなってきているので。  
 『コミックビーム』は前から交流させていただいていますが、大手にもかかわらず、ほかのマンガ誌ではなかなか載らないような作品も積極的に掲載されているし、作品も生き生きしているのでずっと注目しています。

「トーチweb」 Logo design : 平野甲賀出典: トーチweb

 「トーチweb」は作家にきちんと編集者がついていて、作品と向き合ってくれる感じが良いんですよね。新人も多く出されていてウェブマガジンとして成功されているので、重要な場所になっていると思います。  
 『アックス』の作家にはとにかくお金を稼げる仕事にどんどんチャレンジしてほしいんです。かつて『ガロ』がそうだったように、彼らの活躍が会社を支え、次の新人を生み出す原動力となりますから。結局全部が繋がっているんです。

『アックス』編集長・手塚能理子さん出典: 撮影=ただ(ゆかい)

“闇”すらないところで苦しんでいる人たち

 “作家を生み出して、巣立っていくのを見送る”ということを『ガロ』の時代からずっとやってきていますし、『アックス』は常にひとつの“場所”でありたいと思うんです。例えば社会的なことで言ったら、少年が起こす事件もだんだんエスカレートしてきていて、昔はそれが「“心の闇”が原因だ」なんて言われていたけれど、今の時代は、その闇すらないところでもがき苦しみながら生きている人がいる。そういう社会と連動して、『アックス』はほかの媒体が掘り下げないところを、もっともっと掘り下げるのがひとつの使命なのかもしれません。ネット時代の今は、大きな声を出したり、先に言った人が勝ちっていう風潮があるじゃないですか。でもそれができない人って世の中にはいっぱいいる。そういう人たちの鬱憤みたいなものをすくい上げる“場所”でありたいんです。ただ、それは仕事としては非常におもしろいしやりがいはあるんですが、お金にはなりません(笑)。

『アックス』15周年で、作家たちから贈られた表彰状出典: 撮影=ただ(ゆかい)

山田花子の作品。『改訂版 魂のアソコ』(2009年、左)『改定版 花咲ける孤独』(2000年、右)出典: ©️山田花子 / 青林工藝舎、撮影=ただ(ゆかい)

10代の作家の持ち込みが、後を絶たない

 最近は10代、20代と、若い人の持ち込みが特に多いです。そういう人たちに影響を受けた作家を聞くと、その多くが「山田花子」をあげるんですね。80年代後半から90年代頭まで活躍して24歳の若さで亡くなった作家なので、どうして知っているのかと尋ねると、親の本棚にあったっていうんです。それで読んでみたら、すごく衝撃を受けて、それで『ガロ』を知り、その先にある『アックス』を知って、投稿してくるんです。 

 山田さんは純粋な人だったので、それが同じような悩みを抱えている人にストレートに伝わるんだと思います。彼女は学校で長い間いじめにあっていたので、テーマは常に「自分」でした。そのため作品はどんどん自分と密になっていく。それを読む方もどんどん切実になってくる。山田花子と読者の関係は、かなり密だったと思います。

山田花子『改定版 花咲ける孤独』、pp.48−49(2000)出典: ©️山田花子 / 青林工藝舎

山田花子という作家

 山田さんは、本当に生きるのが不器用な人でした。普段は黙って隅の方にいるのに、大好きなマンガの話になるといつのまにか出てきて、うわぁーっと堰を切ったように話し出すんです。きっと、彼女の中に言いたいことがいっぱいあったんでしょうね。彼女が亡くなったとき、仲間のマンガ家さんたちは皆、“悲しむ”というより、ひとりのマンガ家として生きたことを認め、彼女を見送りました。

 彼女の頑固で一途な生き方に作家としての魅力があったのかもしれない。物書きであればあるほど、彼女の苦しみがわかるんだと思います。あれだけ自分の作品に対して向き合っていた人って、あんまりいないですよね。それをやりすぎてしまうと苦しくなるばかりですから。でも山田花子は死ぬまで向き合っていたのかもしれません。

島田虎之介の作品。『トロイメライ』(2007年、左)『ラスト・ワルツ』新装改訂版(2014年、右)出典: ©️島田虎之介 / 青林工藝舎、撮影=ただ(ゆかい)

100年に1人のストーリーテラー、島田虎之介

 最後に。もっと世界に知られるべきだと思う『アックス』の作家がいます。それが島田虎之介さん。作品は圧倒的な完成度で、いろんな伏線を随所にちりばめながら、納得以上のラストに向けてきれいにまとめあげていくその構成力は本当にすごいです。あそこまでかけるストーリーテラーってなかなかいなくて、100年に1人かっていうくらい天才的な人。『ロボ・サピエンス前史』(講談社)も、まさに神の域みたいな作品じゃないですか。

 島田さんは以前、ラストまできっちり決めてから連載をスタートするっていうやり方で描いていたんです。打ち合わせのとき、ストーリーの時系列を追った年表みたいなのをつくってきて、一気に説明してくれる。それが最初から完成度が高いので、アドバイスなんてできないんですよ、口の出しようがなかった。もっと多くの国で翻訳本が出されるべきだと思いますね。

事務所に飾られていた紙芝居出典: 撮影=ただ(ゆかい)

写真:還暦を迎えた年に、『アックス』の作家たちから手描きの紙芝居「手塚能理子物語」が贈られた。向かって左が島田虎之介、右が根本敬によるもの

青林工藝舎から出版されたマンガが、所狭しと並ぶ出典: 撮影=ただ(ゆかい)

提供: ストーリー

協力:手塚能理子、株式会社青林工藝舎 

聞き手:宮本大人(明治大学) 
構成:菊地七海 
撮影:ただ(ゆかい) 
編集:菊地七海、福島夏子+宮﨑由佳(美術出版社) 
監修:宮本大人(明治大学)
制作:株式会社美術出版社
2020年制作

提供: 全展示アイテム
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