クラウディオ・アバド
信じられないほど正確に表される音楽の詳細、完全に明確な構成、そして透明な多声の響きが、彼の音楽の主な特徴でした。 1967年に、アバドはドイツ・グラモフォンにおける初レコーディングが行なわれ、その基準となる録音、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調、プロコフィエフのピアノ協奏曲 第3番、ピアノはマルタ・アルゲリッチで録音しました。 彼の多くの録音は続く数十年で行われ、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、メンデルスゾーン、ラヴェル、そしてシューベルトの交響曲の完全録音のほか、1ダースを超えるオペラの完全録音も行いました。
アバドの最後のアシスタントの Gustavo Gimeno は彼を回想するときに、特にその音楽の躍動が分離することを避ける方法を記憶しています。 『彼は、長い音楽の流れを広々と、ゆっくりとした動きで指揮しました。 そして、その音楽的語法をさらに発展させることに挑戦しました。それはゆっくりですが、流れているんです。』
クラウディオ・アバド / シューマン(2012/2013)ドイツ・グラモフォン
シューマンを指揮するクラウディオ・アバド
アマデウス弦楽四重奏団
アマデウス弦楽四重奏団は、その著名な40年に及ぶキャリアを経て、その伝説的といえる地位を獲得しました。 そのアンサンブルは、オーストリア・ドイツの弦楽四重奏曲を深く解釈し、数え切れないほどのコンサートを行い、そして現在でも評価の対象となる、数々の伝説的な録音を残しました。
アマデウス弦楽四重奏団(1948)ドイツ・グラモフォン
アマデウス弦楽四重奏団のメンバーは、自分たちの事を『ヴォルフガング』(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトから)と呼び、それは彼らの歴史で変わることはありませんでした。
1951年に、アマデウス弦楽四重奏団は、ドイツ・グラモフォンにおける初レコーディングが行ないました。 そして1959年には、すでにブラームス、ハイドン、モーツァルト、シューベルトの録音を終え、彼らはベートーヴェンの弦楽四重奏曲の完全ステレオ録音に着手しました。 1987年、ヴァイオリニストの Peter Schidlof の死を受け、アンサンブルは解散しました。
マルタ・アルゲリッチ
ホロヴィッツ、ジョルジュ・シフラ、もしくはマイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックスのように、マルタ・アルゲリッチは、驚くほど自然な楽器とのつながりを持った演奏者です。 彼女がピアノを演奏する時、それはただのピアノではなく、ヴァイオリンのようであり、時にハープ、クラリネット、もしくはフルオーケストラが演奏しているのようです。 ドイツ・グラモフォンは1960年に、その後の数十年間にレーベルに参加する多くの一流ピアニストの一人である、マルタ・アルゲリッチと専属契約を結びました。
マルタ・アルゲリッチ(© Erich Auerbach)ドイツ・グラモフォン
アルゲリッチが14歳のとき、彼女はウィーンで、フリードリヒ・グルダに学ぶ為、故郷のアルゼンチンを離れました。『完璧な演奏者』になるために。
おそらく、いまだ世界で最も有名な女性ピアニストである、マルタ・アルゲリッチは優れた音楽家であるだけでなく、生きる伝説なのです。 1960年代から70年代にかけての、ドイツ・グラモフォンでの録音は、彼女の類稀なる演奏を捉えています。
クラウディオ・アバドとマルタ・アルゲリッチ(2004) - 作者: © Marco Caselli Nirmalドイツ・グラモフォン
アルゲリッチと、アバドとの合同による、モーツァルトピアノ協奏曲の録音
ダニエル・バレンボイム
現在に生きている音楽家で、ダニエル・バレンボイムほど、無尽蔵のように音楽を表現できる音楽家はいません。 彼はピアニストと、指揮者という二つの視点を楽しむだけでなく、指揮者としてオーケストラ作品からオペラにまで、作品はバッハからブーレーズまでと非常に幅広いです。
ダニエル・バレンボイム(2012) - 作者: © Felix Broedeドイツ・グラモフォン
ダニエル・バレンボイムとドイツ・グラモフォンの長期にいたる関係は、1972年から始まりました。
ダニエル・バレンボイムとシュターツカペレ・ベルリン(2014) - 作者: © Matthias Creutziger / Unitelドイツ・グラモフォン
バレンボイムは、シュターツカペレ・ベルリン首席指揮者です。
彼の指揮の下でシュターツカペレ・ベルリンは、そのレパートリーを切り開いたので、ドイツのオーケストラでは、特別な評価を得ています。
ダニエル・バレンボイム - Debussyドイツ・グラモフォン
バレンボイムとドビュッシー
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウは、1948年にベルリン・ドイツ・オペラ(当時はベルリン市立歌劇場)で、ベルディの『ドン・カルロ』のポサ役として、出演しました。 そして、1949年にドイツ・グラモフォンでの録音を初めて行いました。
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1968) - 作者: © Siegfried Lauterwasserドイツ・グラモフォン
そのキャリアの初めから、その若いバリトン歌手は活動的で、リサイタルのリーダーとして出演し、やがてオペラ歌手としての自信と、自由を手に入れました。
彼のオペラ歌手としてのキャリアは非常に早く成長しました。 1954年に、彼の初となるバイロイト音楽祭で、ワーグナーの『タンホイザー』で、ヴォルフラム役として出演しました。 1960年にミュンヘンで、リヒャルト・シュトラウス『アラベラ』の中で、マンドリーカ役として歌ったときには、すでに世界的に有名でした。 他の役で特に評価を受けているのが、Kurwenal, Wotan, Jokanaan, Barak, そして Count Almaviva 役です。
ヴィルヘルム・ケンプ
ピアニストであり作曲家でもある、ヴィルヘルム・ケンプは、1895年11月25日に生まれました、つまり、彼の人生はブラームスと2年重なっているのです。 1920年に彼は、ドイツ・グラモフォンで初録音を行いました。(ベートーヴェンのピアノ小品集 )
ユーディ・メニューインとケンプ(1970) - 作者: © Julian Hannドイツ・グラモフォン
ユーディ・メニューインは、ケンプの事をこう賞賛していました。
『演奏する両手は 、驚くほど自然に調和していて、かつ、作曲家の意図を厳格に尊重していた。』
また、メニューインは彼の事を『ドイツの伝統を表す、最も素晴らしい演奏者だ。』と呼んでいます。
『時計とメトロノームが、音楽の自然なリズムに取って代わっていなかった時代、そして同時に、今よりも自身のリズムが真実だった時代』からの、本物のピアニストです。
彼の長い人生を通してケンプは、永続的な評価、賞賛、そして尊敬を得ました。 彼が、20世紀で数少ない、真のピアニストの一人であったことは、一般的に認められています。 時間が経つにつれ、ケンプが最初に行った録音から、50年以上に渡って行った録音は、支持者の数は増やし続け、現在でも影響を与え続けるクラシックとして評価されています。
マウリツィオ・ポリーニ
マウリツィオ・ポリーニは1942年1月5日にミラノで生まれました。 5歳からピアノを初め、4年後に初のリサイタルを行いました。 彼が10代の時にミラノで行った、ショパン:24のエチュード集を取り上げたリサイタルで、大きな注目を集めました。 その後、1960年の国際ショパンコンクールで賞を獲得し、その時、審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインは、『その子は、技術的に審査員の我々よりも優れている』と名言しました。
Maurizio Pollini(2001) - 作者: © Siegfried Lauterwasserドイツ・グラモフォン
ポリーニは、その細心の注意を払った演奏技術と、一貫性のある安定した演奏、妥協の無いプログラム、そしてまず作曲家へ奉仕する、という激しい決意による演奏で、その評判を固めていきました。
マウリツィオ・ポリーニ / Debussy: Préludes II(2018)ドイツ・グラモフォン
Maurizio Pollini - Debussy Préludes II - Quotes
クラウディオ・アバドとマルタ・アルゲリッチ(1967) - 作者: © Ilse Buhsドイツ・グラモフォン
彼らのように、圧倒的な洞察力、個性、そして情熱を持った音楽家はドイツ・グラモフォンの生命線です。
将来にどのようなアーティストが、そしてどのようなレパートリーが音楽愛好家を興奮させるのか、誰が分かるでしょうか。。。
Text by:
Gregor Willmes
Jeremy Siepmann
Ingo Harden
Translation:
Bettina Wohlert
Stewart Spencer