2020年に鎮座百年を迎えた明治神宮。そのシンボルとして、鎮守の杜として、また、都会のオアシスとして広く親しまれているのが、70万平方メートルにも及ぶ「神宮の杜」です。創建当時、この辺り一帯は南豊島御料地(皇室の所有地)でした。現在の御苑一帯を除いては畑がほとんどで、荒れ地のような景観が続いていたそうです。神宮の杜は天然の森ではなく、明治神宮創建にあたり、「永遠の杜」を目指し、全国から献木されたおよそ10万本を植栽した人工林なのです。 土地に合う樹種を使いつつサイクルを生み出す見事なグランドプランで、森と自然の多様性の再生を行い、まさに国連で掲げられているSDGsの持続可能な森の実現を見ることができます。
「永遠の杜」を目指した壮大な計画のもと、1915年(大正4年)から造営工事が始まり、全国から植樹する木を奉納したいと献木が集まり、350以上の樹種が日本だけではなく海外からも届き、全部で約10万本の木が奉献され、延べ11万人に及ぶ青年たちの奉仕活動による植林によって、明治神宮の杜が誕生しました。これほど大規模な人工林が自然林を成すに至った例は国内で他になく、独特の生態系を形成し都内の貴重な緑地として広く親しまれています。
Cerasus3(2020) - 作者: 朝山まり子(撮影)神宮の杜芸術祝祭
美しい春の杜。
Sparrows(2020) - 作者: 朝山まり子(撮影)神宮の杜芸術祝祭
造営当初、在来木等を含め365種、約12万本だった内苑の樹木は、第二次境内総合調査(平成25年に報告書刊行)によると、234種、約3万6千本となりました。自然淘汰され、木々は大きく成長したのです。また、新種や絶滅危惧種、都内では珍しい動植物を含む約3千種の生物が報告されています。
Snow day(2020) - 作者: 朝山まり子(撮影)神宮の杜芸術祝祭
雪の降る杜。
御苑神宮の杜芸術祝祭
なぜ代々木につくったのでしょうか。
ここには、明治天皇が、皇后(昭憲皇太后)のために造られた庭園がありました。
花菖蒲で知られる明治神宮の御苑は、その昔、明治天皇がご体調のすぐれない皇后(昭憲皇太后)を気遣われ、皇后のご散策の場として親ら設計された庭園でした。その縁と神域としてのふさわしさも、明治神宮の鎮座地として代々木が選ばれた要因でした。
花神宮の杜芸術祝祭
【明治天皇御製】
「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」
この代々木の里の静寂の中に身を置いていると、 東京に居ることをつい忘れてしまうほどにのどかな心持ちがすることだ。
「永遠の杜」づくり
明治天皇と皇后の昭憲皇太后をおまつりし、人々が静かに祈りを捧げる「永遠の杜」をつくるために第一線の学者たちが集められて計画がたてられました。 造営にあたり、本多静六、本郷高徳、上原敬二ら林学の専門家たちは、何を植えたら「永遠の杜」になるかを考え、将来的にシイ・カシ・クスなどの照葉樹を主な構成木となるように植えることを決定しました。理由は大正時代、すでに東京では公害が進んでいて、都内の大木・老木が次々と枯れていたのでした。そこで百年先を見越して明治神宮には照葉樹でなければ育たないと結論づけたのでした。植栽する樹木はそのほとんどが献木で、全国から350以上の樹種、約10万本が奉献され、のべ11万人の青年たちが造営工事のボランティアを行い、植林や参道づくりに汗を流してこの明治神宮の杜はつくられたのです。
壮大な杜づくり
林学や造園の専門家が集まって、杜の植栽計画を作成しました。ほぼ90年で計画の第4段階の完成期の入り口に到達しました。彼らのスピリットは現在の杜にも引き継がれています。 第1段階 杜を形づくる赤松や黒松などを植えその下の層に、成長の速い針葉樹と、将来の主本となるシイやカシなどの照葉樹を植える。 第2段階 およそ50年後には、赤松や黒松が針葉樹におされ次第に枯れてゆく。 第3段階 およそ100年後には、シイやカシなどの照葉樹が杜の中心を占める。 第4段階 シイやカシなどがさらに成長して極相林となり、自然豊かな杜が広がって、主木が人手を介さず、自ら世代交代を繰り返す「天然更新」に到達する。
明治神宮境内原形図神宮の杜芸術祝祭
荒地神宮の杜芸術祝祭
鎮座前は、一部の松林・雑木林を除いて、ほとんどが原野や畑地でした。
神宮会館付近より西北を望む神宮の杜芸術祝祭
明治神宮造営前の風景。原宿駅から現在の北参道付近まで線路を敷き、献木を運びました。
児童献木運搬神宮の杜芸術祝祭
国民から寄せられた10万本の木々。
神宮の杜神宮の杜芸術祝祭
青年たちの勤労奉仕も神宮の造営に多大な貢献を果たしました。物価高騰や第一次世界大戦の勃発により労働力が充分に確保できないため急遽 計画されましたが、実際に各府県に呼びかけると申込みが後を絶たず、のべ11万人の若者が境内の植林や参道づくりに尊い汗を流したのです。
日本人と自然
日本全国からのべ11万人の青年たちが集まって約10万本の木が植えられました。その1本1本に、自然への畏敬の念、祖先が自然との営みの中で育んできた知識や智恵といった日本人の自然観というものが込められいるのではないでしょうか。森や山に神さまを見出し手を合わせて恵みに感謝する、それが自然に対する日本人の伝統的な態度でした。先人たちのまごころがこの森を造ったともいえます。この杜に来て、人と自然と神とのかかわりを見つめなおし、大きな命の繋がりと神のご加護の中に生かされているということを感じ取ってみて下さい。はじめの百年、これからの千年。私たちは何を次代に伝えられるでしょうか。毎日の祭りを行いながら杜を守り、育て、祈りをこめ、心を広く、深めていきたいと思います。
そして約100年後、現在の杜の姿になりました。