あなたの知らない舞踏の事。

三上賀代の研究による知られざる舞踏の事。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎、Torifune Butoh Sha)とりふね舞踏舎

海外における舞踏の視点と評価

 1980年代 国内で長く異端視されてきた暗黒舞踏が「Butoh」の名称を得て指示領域を拡大し、日本生まれの前衛舞踊として世界的に認知され海外の舞踊・演劇祭に頻繁に招待され高く評価されるようになる。以下のKIsselgoff,A.の舞踏評「ダンス、驚きと挑戦は海外よりやってくる」(ニューヨークタイムズ‘85,10/13)は舞踏に対する海外の強い印象を伝えている。  「とんでもない場所からダンスの全く新しい方向性が現出した」とし、「高度に独創的な日本の舞踏は、過去二十五年間、アメリカのモダンダンスが純粋舞踊と形式概念を主張している間に、情念を表すための手段として、形式を仕掛けとして使うことにした」と、その驚きを隠さない。彼女をはじめとした批評家諸氏は舞踏家、舞踏グループのさまざまな舞踏のスタイルを分析し、その解釈を求めようとする。西洋人にとって、緩慢な動きや極端な歪曲は驚きであり、単に筋肉のコントロールの問題だけではなく、それを支えるものを探ろうとする姿勢が舞踏評に現れてくる。だが、こうした努力はマルシア・シーゲル(Marcia B.Siegel)の「どうやってなのか、私にはわからない」という困惑の言葉に集約される。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎)とりふね舞踏舎

白塗りの由来

土方は、石膏彫刻家ジョージ・シーガルの作品を好んで、からだに石膏を塗ったこともあった。石膏が乾くときからだから熱を奪い、からだが震え、その震えが舞踏の動きとして使われるようになる。初期にお金がなく胡粉を買えずメリケン粉を塗って踊った時、乾いた粉が胡粉のようにひび割れたのが面白かったとも語っている。生まれた時は人間誰もが真っ白(無垢)と語ったのは大野一雄。土方一番弟子であるカルフォルニア在住の舞踏家・玉野黄市は「白塗りは金のかからない衣裳」と語っている。

土方の故郷にある「鎌鼬美術館」の理事長・菅原弘助は、白塗りと火傷の関係性を指摘、土方の高校時代の後輩棚谷文雄の言葉を伝えている。棚谷によれば土方は入社した秋田鉱業の事故で背中と下腿部に大火傷を負い、それは生死を危ぶまれたほどの重篤な事故で、以来、脚を引きずっていた、という。白塗りは火傷の跡を隠すためだったという可能性の指摘である。
 

献花(とりふね舞踏舎)とりふね舞踏舎

なぜゆっくりなのか

全速力で駆け抜けるランナーは遠目には動いていないように見える。流れ落ちてくる滝も同じ。舞踏家は常に全速力で疾走している。それがゆっくり見える。回転する独楽はまさに停止している。土方舞踏譜の基本の「寸法の歩行」の「天界と地界の間、寸法となって移行する。……刻々の時間の断面の中を永遠に移行する」に特徴的に表れるのは、時間と空間の無限と極小の体感の表現が「ゆっくり」に見えることである。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎)とりふね舞踏舎

ジェンダーに関して

土方初期代表作「土方巽と日本人‐肉体の叛乱」(1968年、於・日本青年館)で、土方は少女、フラメンコの女、から異形のキリストまでを踊りきる。 土方舞踏第一継承者・芦川羊子は女性の生(なま)を抜ききった「陶器のような美」と評された。日本のお座敷芸の地歌舞においてもまた、女の生理をいかに表現にまで昇華するかが重要となる。

Kabuki Dancers(Cornell Capa)LIFE Photo Collection

日本における女装は古くから歌舞伎などで行われている。江戸時代に女歌舞伎が売春につながることで禁止され、若衆の女装もまた男色から禁止される。そして女も若者も使えない野郎歌舞伎において歌舞伎の様式美が確立される。 芸事と色事は不即不離。これは西欧バレエの発展にも伺えることである。 また女性だけの宝塚歌劇団では男装の表現が舞台の定型のスタイルである。性差の問題が「異化効果」としてだけではなく、性を超えた側からのアブローチとして定着し、親しまれている。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎、Torifune Butoh Sha)とりふね舞踏舎

大野一雄との関係

 1949年、土方は二十一歳で上京、大野一雄舞踊公演(神田共立講堂)を見て、衝撃を受ける。「不思議な舞台に出会った。シミーズをつけた男がこぼれる程の抒情味を湛えて踊るのである。頻りに顎で空間を切りながら踊る、感動は長く尾を引いた」。四十歳前後の大野一雄の舞踊を、土方はその後「劇薬ダンス」と名づけ、三年後の1952年、土方は二十四歳で「リヤカー一杯の本」と共に上京、翌年、安藤三子舞踊研究所に入門。「劇薬ダンサー」大野に対する感動を下敷きに、上京後の土方は様々な欧米のダンスを習得していくことになる。 大野の出世作「ラ・アルヘンチーナ頌」(1977)「私のお母さん」(1981)は土方巽の演出であり、大野一雄のその後の舞踏活動の基礎となった。土方巽のデビュー作「禁色」で相手役の少年を演じた大野慶人は大野一雄の息子である。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎、Torifune Butoh Sha)とりふね舞踏舎

三島由紀夫との関係

三島由起夫の小説「禁色」のタイトルを無断借用した土方デビュー作以降、三島は土方の稽古場に出入りし、三島自身の肉体改造が始まる。三島割腹直前、三島は、土方舞踏の旗印となる詩人・高橋睦郎作の「播犠大踏艦」を揮毫した掛け軸を土方に送っている。  三島由紀夫を初めとして土方は近代日本を代表する美術評論家、詩人、画家たちと交流する。戦前・戦後の日本における正統シュルレアリスムの理論的支柱であった滝口修造、作家の埴谷雄高、澁澤龍彦等、戦後日本の知を代表する作家たちと親交を結んだ。彼らはいずれも土方舞踏の支援者であった。戦後息絶え絶えだった歌壇を一夜にして蘇らせたと言われた歌人・寺山修司は見世物芝居の復権を謳い、劇作家として劇団「天井桟敷」を率いて日本アングラ演劇界を主導した。劇作家で俳優、赤テント・状況劇場主宰の唐十郎も土方に連なる。加えて若き美術家、横尾忠則、赤瀬川原平や音楽家などが彼の周り集まり、舞台に加わっていった。わけても既に正統の大家とでもいうべき存在であった三島由紀夫は、異端の教祖であった土方にとって大きな精神的支えであったのかもしれない。「三島さんが死んだときゴーンと鐘が鳴った」と語り、その死を悼んだ。

暗黒舞踏(とりふね舞踏舎)とりふね舞踏舎

現在の暗黒舞踏に関する問題点

 「白塗りで剃髪、裸、奇抜さ、超スローモーな動き」といった特徴的な舞踏のビジュアルなスタイルは、やがて装飾過多との指摘を受けるようになる。この指摘は1990年代に既にあった。とりふね舞踏舎の海外公演「献花」評から見てみる。 「我々が昨日見た『献花』、これこそが舞踏である。カヨ・ミカミの一挙手一投足には息を飲まずにはいられない・・・安物の金ぴか衣裳を着たり、裸になったり、あるいは灰の中を転げまわるというエロ・グロ、60年代の日本前衛振付師たちは、舞踏であることを知らしめるために様々な工夫を編み出した。だが、そんなものは必要ないのである。最早我々はそれで満足しない。『献花』は我々の目の前でそのことを示した」(1993年6月29日、フランス・「L’est Répubilican」紙 Rachel VALENTIN)。 この評は、60年代の日本の前衛振付師たちを、舞踏であることを知らしめるために様々な工夫を編み出したと概観するが、‘90年代のフランスの新聞評は「そんなものは必要ない」ばかりか「それで満足しない」と述べる。これは、舞踏とは何かという問いでもあった。 この問いに答えることなく今日に至っているように思える。

その始まりにおいて前衛舞踊を志向した土方のまわりには正規にバレエ技術を習得した人たちが多かったが、その後、暗黒舞踏派を名乗ってからのダンサーたちのほとんどが、それまで踊りなど見たことも踊ったこともないシロートだった。シロートの彼らに舞踏の身体、技法を教え込んだのである。ある意味でアカデミズムの「芸のない素人集団」という言葉は正鵠を得ていた。誰でもが舞踏家になれた。しかし、それは土方巽という要の視点があって初めて可能となる成果であった。 だが今日、土方が亡くなり、大野一雄が亡くなり、舞踏の始まりといわれる『禁色』で土方の相手役を務めた大野慶人が亡くなった。土方から直接指導を受けた第一世代の和栗由紀夫、室伏鴻も既に亡くなっている。現在、舞踏の第三世代、第四世代が舞踏をどのように伝えているのか。「舞踏であることを知らしめるために様々な工夫」とは、そうした背景にある舞踏の精神的問いの前に足踏みしたままであることを示している。  舞踏もいつかバレエという大河に吸収されてしまうのではないか、という危惧がある。  今日、国内よりも国外の舞踏家たちが活発な活動展開をしている。  土方巽が立脚した東北、しかし、彼がいみじくも語っているように「イギリスにも東北がある」。生活に立脚した土地としての東北はあらゆるところにあり、一つの地域を示したものではない。東北は世界にばらまかれた舞踏の種子である。いかに花を咲かせるかは、世界の舞踏家自身の課題、問いとなっている。

提供: ストーリー

三上賀代著
『器としての身體-土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』(1993年、ANZ堂)、
『増補改訂 器としての身體-土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』(2015年、春風社)、
『The Body as a Vessel』translator:Rosa van Hensbergen
2016年 UK Ozaru Books http://ozaru.net/ozarubooks/vessel.html

文責 とりふね舞踏舎
Torifune-butoh-sha.com

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。

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