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海外移住資料館

2022年にリニューアルした海外移住資料館(JICA横浜 2階)をご案内します。

海外移住資料館(2022) - 作者: JICA YokohamaJICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

海外移住資料館

日本人の海外移住の歴史は、近代日本の原点とも言えるものです。移住者とその子孫である日系人の現在の姿について広く知っていただくため、この「海外移住資料館」は2002年に開館しました。当資料館は、海外移住の起点となったハワイを含む北米と第二次大戦後、独立行政法人国際協力機構(JICA)が、移住事業の一翼を担った、中南米の国々を主な対象として、海外移住に関する歴史的な資料を展示しています。慣れない異文化の下で、生活環境も整わず様々な困難を乗り越えながら、家族の幸せを求め、さらには移住先の国造りにも貢献してきた日本人移住者および日系人の足跡をぜひご覧ください。

日本人農家がつくったローズ・フェスティバルの野菜山車(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

野菜山車

アメリカ、オレゴン州ポートランド市では、1907年以来、毎年5月から6月にバラの祭典「ローズ・フェスティバル」が開催されます。メインイベントである「グランド・フローラル・パレード」では様々な山車が街を練り歩きます。 アメリカに渡った日本人のなかには、都市近郊で農業や畜産業を営む人びとが多く、1921年にポートランド市近郊で農業を営んでいた日本人移住者が、パレードに参加するために野菜山車を製作しました。装飾は、日本人農家が栽培した野菜や果物などが使われ、アメリカに定着した日本人が、農業や畜産業などで重要な役割を担っていたことを象徴しています。

ハワイへの官約移民(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

ハワイへの官約移民

日本とハワイ王国の間で交わされた「移民協約」に基づいて、1885年から1894年までの10年間に2万9千名あまりの日本人労働者がハワイ諸島へ渡航しました。サトウキビのプランテーションで3年間就労するという契約で海を渡った彼らは「官約移民」と呼ばれています。ここでは、当時の様子を再現しています。日本人労働者たちは歌を歌って励ましあいながら作業をしていました。

アリアンサ移住地(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

アリアンサ移住地

1925年から移住が開始されたブラジル、サンパウロ州西部のアリアンサ移住地について展示しています。ブラジルでは、1910年代になると、コーヒー農園の労働者から自分の農園をもって独立することを目指した人々によって、日本人だけの「移住地」が作られ始めました。アリアンサ移住地はその代表的な移住地です。移住地では、「コーヒーをつくるより人をつくれ」という高い理想が掲げられ、森林を切り拓き、農業を営んで、定住に向けた努力が続けられました。

最後の移民船にっぽん丸(2022) - 作者: JICA YokohamaJICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

最後の移民船にっぽん丸

1970年代まで、移住者の渡航は船に頼っていました。特に南米への移民船は、横浜や神戸から出港しましたが、航空機が発達するにつれて船による移住は減少していき、1960年代の日本の高度経済成長によって海外移住そのものも減速していきました。南米への最後の移民船となった「にっぽん丸」は、1973年2月14日、285名の移住者を載せて横浜を出航しました。

移住の道のり(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

七つ道具


こちらのコーナーには、移住者が海外へ持って行ったトランクが展示されています。トランクの中には、移住者が実際に持っていった渡航案内書、衣料品、娯楽のための将棋や花札、そして移住先で農地を開拓するための農機具や大工道具があります。女性にとってはアクセサリーや裁縫道具が必需品だったようです。また、日本語や現地語の辞書も欠かせません。当時ラジオなどはぜいたく品だったので限られた人しか持っていなかったそうです。家族の写真などは日本とのつながりを想起させる重要な意味をもっていました。左側には、クイズ形式で携行品を考える、触れる展示もあります。

外航旅館(移民宿)(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

横浜港周辺の移民宿地図

こちらは、ここ横浜港周辺に数多くあった移民宿の地図です。1890年代から、海外への出稼ぎや移住をする日本人のため、横浜、神戸、長崎の波止場周辺に外航旅館、いわゆる「移民宿」ができました。移民宿は、海外への渡航者が船に乗り込む前の数日間を過ごす「宿泊所」でした。多くの渡航者は地方の農村地域の出身で、日本を出発するために必要な手続きなどを全く知りませんでした。そこで、移民宿が乗船切符の手配、出航手続き等を手伝っていました。

イグアス移住地(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

イグアス移住地

19世紀、南北アメリカ大陸で奴隷制度が廃止されていくと、日本人だけでなくヨーロッパやアジアからも多くの人が新天地を目指して移動し始めました。日本人にはプランテーションでの農業や未開の大地の開拓を志す人が多く、漁業や工業、商業や知的職業への従事を目指す人は少数派だったようです。ここでは、1961年から入植がはじまったパラグアイのイグアス移住地について展示しています。第二次大戦後に移住が再開されると、ブラジルをはじめ、ドミニカ共和国、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンなど中南米の国々に日本人移住地が建設されました。パラグアイのイグアス移住地もその一つです。

大地に挑む(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

大地に挑む

移住者は当初、契約労働者としてサトウキビ農園やコーヒー農園で働きました。その他、独立して野菜や果物を栽培する人もいました。日本人は、朝から晩まで働くだけでなく、キリスト教の安息日である日曜日まで労働に精を出していました。このことに対し、移住先地で、しばしば非難があった一方、ブラジルではのちに、勤勉で実直な日本人は「信用できる日本人」との評価も得るようになりました。彼らは、移住先地で「ジャポネス・ガランチード」と呼ばれました。

萬屋(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

萬屋

ここでは、「萬屋」と呼ばれた雑貨店を紹介しています。日本人は移住先でも日本的な食生活を維持しようとしていました。そのため味噌や醤油の醸造業、豆腐や和菓子の製造などの食品加工業が発展します。日本人が多く住む街には、日本からの輸入品を扱う雑貨店、萬屋が軒を連ねました。この展示は、アメリカオレゴン州フッドリバーの安井兄弟の雑貨店を一部再現したものです。

体験学習コーナー(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

体験学習コーナー

ここは、ワークシートの記入や検索端末を使った移住者のルーツ探しができるスペースです。

日系人・日系社会の変遷をたどる_rev(2022) - 作者: JICA YokohamaJICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

日系人・日系社会の変遷/現在

日本人の海外移住が始まってから150年以上。移住者を取り巻く環境は時代とともに変化してきました。ここではブラジルを例に、どのような変化があったかを知ることができます。

ハワイのビック・ファミリー(2022) - 作者: JICA横浜JICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

ハワイのビッグ・ファミリー

この写真は、2000年代に撮影された、ハワイ移民の子孫の家族写真です。最初に移住した人の孫である日系三世から、さらにその三世のひ孫である六世まで写っています。家族が世代を重ねるごとに、家族のメンバーも多様化していることがわかります。

Introducing Japanese Overseas Migration Museum(2022) - 作者: JICA YokohamaJICA横浜(独立行政法人国際協力機構 横浜センター)

海外移住資料館 常設展示のご案内

JICA横浜 海外移住資料館は2022年にリニューアルオープンしました。新しくなった常設展示場をご紹介します。

提供: 全展示アイテム
ストーリーによっては独立した第三者が作成した場合があり、必ずしも下記のコンテンツ提供機関の見解を表すものではありません。

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