原生林が奏でるサイバー空間のオーケストラ

東京大学サイバーフォレスト研究チームの25年

東京大学サイバーフォレストのカメラと録音装置(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

祖父が子どもの頃に聴いた美しい鳥の声。もし、過去にタイムスリップするようにして、その瞬間に鳴いた鳥の声を聴けたら、素敵だと思わないだろうか。しかも、今あなたがこの画面を見ているその場所から、今すぐに。

そんな未来を描くプロジェクトが、無人の森林をライブモニタリングし続ける「サイバーフォレスト」だ。

東京大学サイバーフォレストの録音装置(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

そこで記録されたデータはインターネット上にアーカイブ、公開されている。誰もが無料で、デジタル空間の原生自然を観察できるのだ。

インターネットの先にある本物の自然

サイバーフォレストとは、森林に設置したロボットカメラで、音声や画像をモニタリングし、それを配信保存するプロジェクト。東京大学のサイバーフォレスト研究チームによって運営され、現在は無人島や東日本大震災の被災地などを含む8カ所にライブモニタリングシステムを設置、無人の自然環境の観察と記録を続けている。

東京大学サイバーフォレストの代表・新領域創成科学研究科自然環境学専攻教授 斎藤馨さん(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

サイバーフォレストが生まれたのは1995年の東京大学。林学の研究者であり2021年3月まで東京大学の教授を勤めた斎藤馨(さいとう・かおる)の、インターネット黎明期における着想から始まった。

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「海外の人に日本のことを聞かれて、いかに自分が日本を知らないか思い知る経験がある人は、少なくないでしょう。海外に出ると、日本を知らずに世界の人と付き合うことは難しいと実感するんですよね」

「それと同じように、インターネットで世界中と繋がる世界が訪れるとすれば、日本を記録しておかないといけないだろうと。そんな直感から、インターネットの届かない日本の自然林の音と映像を記録し、インターネットで公開しはじめたんです」

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

東京大学の秩父演習林へ

斎藤が訪れたのは奥秩父山地にある東京大学の演習林。ここには関東地方では数少ない原生状態の森林が残り、さまざまな教育研究活動が行われている。

そしてこの地に、2台目のサイバーフォレストのライブモニタリングシステムが設置され、25年にわたり天然林の観測が続けられているのだ。

ロボットカメラのメンテナンスをする藤原章雄(中央)と中村和彦(右奥)2012年4月撮影(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

サイバーフォレストが始まった1995年、斎藤は、当時東京大学の学生だった藤原章雄(ふじわら・あきお)とともにロボットカメラを開発。藤原が秩父演習林に泊まり込み、毎日手動で発電機のエンジンをかけながら、観測を続けた。

東京大学サイバーフォレストの録音装置機器(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

 当初人力で管理していたカメラとマイクは、ソーラー発電による自動運転を実現し、記録媒体もビデオテープから衛星ネットによるデータ送信へと進化を遂げていく。

この間に藤原は演習林の助教になりロボットカメラのメンテナンスを担い、サイバーフォレストをテーマに博士号を取得した。プロジェクトに関心を持ち参加するメンバーも、少しずつ増えてきた。

東京大学サイバーフォレストの代表・斎藤馨教授(右)と中村和彦さん(左)(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「今も研究室には約千本のビデオテープが保存されていますし、サーバのデータは毎年約6テラずつ増えていきます」と語るのは、東京大学で助教を務める中村和彦(なかむら・かずひこ)。
森林風致計画学の研究者であり、サイバーフォレスト研究チームのメンバーとして自然環境音の教育現場での活用にも取り組んでいる。

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

人が聴けない音に耳を傾ける

サイバーフォレストでは、本来なら人が聴くことの難しい音が録音される。例えば、オオアカゲラが縄張り争いで闘う音や、ニホンジカの雄叫び、雪を跳ねるウサギの足音。人間のいない森で鳴る音が、インターネットを通し誰もが聴くことができる。それこそが、サイバーフォレストの魅力ではないかと斎藤は言う。

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「鹿の足音を聴くためだけに森まで出かけるのは大変ですが、サイバーフォレストならインターネットに繋げばいつでも森の音が聴こえます。布団にもぐりこみ、眠る前に森の生き物たちの音や気配が感じられたら、ちょっといいと思いませんか?

森では、ヤマドリのドラミングやムササビのうめくような声、夜に響く鵺の泣き声など、さまざまな音が聴こえます。『夜の森でフクロウが鳴いていたよ』と、森の音を共通体験として持つのも素敵ですよね」

サイバーフォレストにアクセスすれば、都会のオフィスからでも病室の中からでも、今この瞬間の森の音を聴くことができる。離れた地で暮らす恋人とサイバーフォレストで待ち合わせれば、今すぐ秩父の森でデートすることも可能だ。

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

森の音はオーケストラ

雨粒が落ち葉をたたく音、動物が藪を踏む真夜中のざわめき、朝を告げる鳥たちのコーラス……サイバーフォレストを聴けば、無人の森がどれほど賑やかかわかるだろう。森ではいつどの方向からどんな音が鳴るか予想ができない。斎藤は、森には予想を超えた偶然の出会いがあると言う。

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「森ではあらゆる角度から突然様々な音が鳴りますから、予測が効きません。いつどこから何がくるか予想がつかないというのは、実際の森にいれば恐怖を感じますが、それを部屋で聴くと癒されるんですね。

クラシックでもロックでも音楽を楽しめるかどうかに文化的なバックグラウンドや嗜好に関係します。しかし、木や土に雨風が触れる音は世界中で鳴っていて、多くの人が共通で体験している。自然の音は、世代や境遇を超えて、その良さを共有できるでしょう」

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

サイバーフォレストと全球感覚 

自然の音が人に与えるものは癒しだけではない。音は映像とは違うアプローチで、遠く離れた地にリアリティを感じさせる作用があると斎藤は言う。
 

「今は、何億光年先の星雲を写真で見ることもできます。しかしこに現場の臨場感はありませんよね。同じように、遠くの森が見えたとしてもその場所に対しリアリティを持つのは難しい。ですが、もしその森で鳴る音が耳元で聞こえたらどうでしょう。遠くの世界だった森が、突然目の前にあるように感じるのではないでしょうか」

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「例えば海外で災害に見舞われた地があるとします。現地の映像だけでなくその場の音もリアルタイムで聴くことができれば、より実感を伴って切実さを感じられるはずです。音によって遠く離れた地の出来事に現実感が持てれば、地球すべてが身の回りの出来事として捉えられるかもしれません。私はそうした感覚を<全球感覚 Sense of globe>と呼んでいます」

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

環境問題はもとより、私たちは様々な側面で、地球規模のスケールの課題に直面している。決して音が全てを解決してくれるわけではない。
しかし、音というメディアがデジタル体験のリアリティを拡張してことくは確かだ。その先に、地球規模で、実感として問題意識が共有できる未来があるのではないだろうか。

東京大学 秩父演習林の山道(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「大切なのは、誰かに諭されるのではなく、自らの実感から問題意識を持つことでしょう。

データや証拠を集めて、『ほら、問題があるでしょう』と説明されても、ピンとこないことは往々にしてあるものです。そこを突き抜けるには、人間の感覚に働きかけることが大切です。音は説明を要さず感覚的に伝わるものです。そして遠い外国の問題を、“おとなりさんが大変だ”という感覚で捉えられれば、親身になって主体的に行動を起こす人が増えるはずです」

東京大学サイバーフォレストの録音装置(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

わからないから記録を続ける

いつか世界中の音が100年、200年とアーカイブされていけば、好きな時代の好きな場所へ音の旅ができるようになるだろう。しかし実際にはそのハードルは高い。海外には斎藤たちとも連携をとる、自然環境音のモニタリングプロジェクトが複数あるものの、データを蓄積する取り組みはほとんど存在しない。

それでも斎藤たちは無尽蔵に増え続ける記録データと戦いながら、終わりなき実験を続けている。サイバーフォレストは、これからの社会でどんな意味を持つのだろうかと、率直な質問をぶつけてみる。

東京大学サイバーフォレストの代表・斎藤馨さん(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

「研究鳥類の生態調査との連携や、サイバーフォレストを活用した自然環境音の心理作用に関する研究も進められています。一方で、サイバーフォレストがどう社会の役に立つのか、という質問に明確な答えを出すことは難しいんです。短期的な利益で測られるものとは別の視点から始まったプロジェクトですし、この先どういった意味を持つのかはわからない。

わからないからこそ可能性を感じていますし、25年以上も続けているのかもしれません」

東京大学 秩父演習林(2021/2021)出典: 東京大学 サイバーフォレスト

利益や結論が重視される社会の中で、わからなさに価値を置くことは難しくなっている。しかし、今すぐ何かの役には立たなくても、人類が立ち入ることのできなかった世界のありかたが少し明らかになる。

そんな体験こそ学びの本質に触れていると言うのは大袈裟だろうか。
サイバーフォレストの森の音に耳を傾けながら、人のいない自然とその音の魅力にしばし想いを巡らせてはいかがだろう。

credit

提供: ストーリー

協力:
サイバーフォレスト研究チーム
東京大学 斎藤馨研究室
 
 
写真 阿部裕介(YARD)
取材・執筆 山若マサヤ
編集 林田沙織
制作 Skyrocket 株式会社

提供: 全展示アイテム
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